雑兵たちの戦場

 以前にyagianが書いていた藤木久志の「新版 雑兵たちの戦場 〜中性の傭兵と奴隷狩り」を読んだ。

→ 山の手の日常 - 過去の世界の復元としての歴史叙述

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

 戦国時代の農民はろくに食えるものではなく、大名達の軍勢は掠奪によって食い扶持を稼ごうとする彼ら雑兵によって支えられていた。雑兵達は収穫・食料だけでなく人も掠奪し、商人達の手によって人身売買が行われ、西国からは同時代のアフリカの奴隷貿易の如く東南アジアに大勢の奴隷が運ばれたという。「秀吉の平和」は、そうした雑兵たちの欲望のはけ口というか生き残り手段としての国内戦場を閉じてしまったため、その掠奪のエネルギーを放出するよう、一面朝鮮への外征が行われ、一面各地で巨大城郭建築などの大規模土木事業が行われたという。

 面白い本で、わたしはこれまでろくに戦国時代の実相のようなものを知らなかったんだなと思う。蹴落とし・引きずり落としをやりたいわけではないが、世の「戦国マニア」の人たちの多くも実はそうかもしれない。

 たとえば、上杉謙信の北陸や北信(いわゆる川中島の合戦)への出兵は多くが収穫後の秋、関東への出兵は多くが冬からだったという。越後から近い北陸や北信では収穫してすぐの食料の掠奪が目的であり、山を隔てた関東へは農閑期の出稼ぎのように越後での口減らしのために出兵したらしい。関東では食料を現地調達したということなのだろう。謙信が占領した城下では公然と人身売買の市も立ったという。

 謙信については、領土支配欲がほとんどなく、関東管領の名の下に旧秩序の回復を実現しようとした「義の人」「聖将」みたいな言い方をする人がいるし、NHKの歴史番組などもそうした謙信像を描いて見せようする。しかし、二毛作ができず、物成りもよくない越後(越後が現在のような美田の国となったのは大規模な治水工事の行われた江戸時代以降らしい)から食い扶持と財を得るために出兵し、しかし露骨にそれでは格好がつかないので関東管領の名やさまざまな大義名分を持ち出した、と考えたほうが妥当なようである。謙信を評価するのなら、むしろその現実的・打算的なところを捉えるべきかもしれない。逆に、周辺地域の人々からすると、謙信は秋や冬になると襲来する一種イナゴのような災厄であったろう。

 一方で、戦国時代の実相のようなものについては、実は学問の世界でもよくわかっていないようだ。本に挙げられている根拠は多くが当時の日記類や軍書の類からであって、証拠としてはどうしても断片的・定性的とならざるを得ない。江戸時代のように人や生産高についての行政文書があまり残っていないだろうから、研究も困難だろうと思う。ただし、それだけに仮説の自由度みたいなものは江戸時代より高いかもしれない。

 ないものねだりだけれども、この本に書かれているような戦国の掠奪がどの程度常態であったのかどの程度特殊であったのかに興味がわく。一読した印象では、まるで戦国時代は掠奪に日夜怯えて暮らしていたかのようだけれども、一農民からすると住む場所が戦場となり掠奪の危機、あるいは自ら掠奪の徒となるような事態は十年に一度くらいの出来事であったのか、それとも始終の話であったのか。定量的な資料の少ない戦国時代についてなかなか量的な解明は難しいのかもしれないが。