和語に漢字をつかわないかきかた

 日本語には、おおまかにいって、和語、漢語、外来語の三種がある(ほかに「プロ野球」みたいな合体作もある)。このうち、和語は漢語輸入以前から存在する日本語のことば、あるいはその系統に属することばだ。和語にも漢字をあてるけれども、これはにた意味内容を持つ漢字をかりてきているのであって、本来、和語と漢字は関係がない。

 文化のねばりというのはおそるべきもので、日本語が漢語をとりいれて千何百年、いまだに和語と漢語のニュアンスのちがいがのこっている。漢語に漢字をつかわないと、はっきりいって馬鹿みたいにみえる。たとえば、例のトンチキな常用漢字による制限のせいで、新聞はよく「船をだ捕」などというふうに書く。だ捕である。あほである。「さいばんいんせいど」と書くと、幼稚園レベルになってしまう。郵便貯金のことを「ゆうちょ」とかいてあるのをめにすると、わたしなぞは「おのれ、愚弄するか!」とぬきうちできりすててやりたくなる。郵便局員、そこへなおれ!

 一方で、和語は漢字をつかわなくてもあまり違和感がない。むしろ和語特有のやわらかい音調がいかされたここちよさがある。

 ためしに、きょうの文は、漢語には漢字を、和語にはひらがなをつかってかいてみた。わりによいふうである。しかし、たとえば、タイトルのところの「かきかた」とか、あるいは「にた意味内容」「めにすると」「ぬきうちできりすてて」「かいてみた」のように、漢字をつかったほうが自然にみえるところもある。漢字をつかったほうが適する和語と、漢字をつかわずとも違和感のない和語と、ちがいはなにによるのだろう?

 ともあれ、このブログでは、しばらく漢語には漢字をつかい、和語にはあまり漢字をつかわないかきかたをしてみようかとおもう。

漢字と日本人 (文春新書)

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