嗜虐的な喜びについて

戦場のピアニスト [DVD]

戦場のピアニスト [DVD]

 子どもの頃に、列をなして歩く蟻をわざと踏みつけた記憶がある。はっきり覚えていないが、踏みつけながら、嗜虐的な喜びを感じていたのだと思う。

 あるいは、今でも、ネット上で見かけた誰かの文章にケチをつけたくなることがある。コメント欄か何かにキツい言葉をうひうひと書き込んで、嗜虐的な喜びを味わいたくなる。我ながらくだらない。同じ類の、意見を交わすというより、もっぱら嗜虐的な喜びを味わいたいらしい書き込みも、よく見かける。

 ロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」を見た。

 邦題には「戦場の〜」とついているけれども、戦闘行為や瓦礫の街が映るのは、終わりのほうの十数分だけだ。原題は単に「The Pianist」である。

 第二次大戦中のポーランドで、ドイツ軍の侵攻によって、ユダヤ人のピアニスト一家が隔離され、収容所に送られる。ピアニストだけは逃亡し、あちこちに隠れ住む。その間にピアニストが見た光景が映画の主テーマになっている。

 出てくるドイツ兵はいずれも残酷である。ユダヤ人を肉体的に痛めつける。簡単に殺す。ぬぐいがたい屈辱を与える。

 こんな光景がある。主人公の向かいのアパートメントにユダヤ一家が住んでいる。何の疑惑なのか、ある夜、ドイツ兵達がやってくる。ユダヤ一家全員に「立て!」と命ずる。車椅子の老人がいて当然立てないが、それでもドイツ兵達は「立て!」と命ずる。そして、彼らは、老人を車椅子ごとベランダに運び、そのまま投げ落とす。

 もちろん、映画の中の話であり、どこまで実話でどこから脚色なのかわからない。原作は読んでいないが、あるいはこれに類する話が書いてあるのだろうか。

 映画の中のドイツ兵は、ユダヤ人をいたぶることに、しばしば嗜虐的な喜びを感じているようだ。相手の肉体的・精神的痛みに無感覚でいるか、あるいは面白くさえ捉えている。

 では、あれらドイツ兵達が、故郷に帰ったとき、同じように他人の痛みに無感覚でいるのか、喜びを覚えるのかというと、そうは思えない。少なくとも、全員が冷血なだけということはないだろう。人は状況、立場によって物の感じ方が変わる、ということではないか。

 ドイツ兵達だけが、ことさらに残酷になる資質を備えているのかというと、わたしにはそうは思えない。例えば、ネットで嗜虐的な書き込みをする人も(わたしも含めて)、相手を血肉のある存在、自分と同じ痛む心の持ち主と実感していない点では、映画の中のドイツ兵達と同じだろう(意味としては理解していても、ひりつくように実感はしていないだろう)。もし状況が変わって、たまたま自分が映画の中のドイツ兵のような立場に置かれたら、彼らと同じ行動を取る可能性は大きいのではないか。少なくともその素養はあるように思う。

 そういう意味では、この映画は、第二次世界大戦中のポーランドユダヤ人とドイツ兵だけの話ではないと思う。嫌な言い方をすると、人を貶める書き込みをするわたしや、もしかしたらあなた(がどんな方だか知らないので失礼ですが)の話でもあるかもしれない。