ショッピング

 経験のある多くの人が感じることだと思うが、インターネットで物を買うときには、お金に対する現実感があまりないようである。


 もちろん、数字は見る。¥20,000なら¥20,000、¥30,000なら¥30,000と把握はする。
 その金額と、貯金残高なり、これから使う予定のお金なりを引き比べ、購入するかどうかを決める(“ま、いっか”というテキトーな悪魔の囁きもあるのだが)。


 しかし、数字はあくまで数字であって、お金が現実に自分の元から去っていく、という感覚は薄い。


 お店で、現金で物を買うときは、そうではない。
 財布から一万円札を出すときには、手が震える。涙腺がゆるむ。洟が垂れる。
「ゴメンねえ。今度、いつ会えるかわからないけど」。ヨヨと別れの涙に暮れる。


 泣きながら、店員に一万円札を渡す。頭の中にドナドナが響く。江戸時代の、女衒に娘を売るお百姓さんの気持ちが少しわかったりする。


 まあ、そこまでのことはないが、お札を持つとき、それには物としての実体感があり、お金はお金として感じることができる。


 お店でのクレジットカードでの決済は、現金よりは現実みが少ないが、それでもまだカードという実体がある。


 その点、インターネットで物を買うのは、手軽だがオソロシイ。いや、手軽だからオソロシイ、と言うべきか。
 お金は物なのか、数字なのかといえば、究極的には数字なのだろう。しかし、物の形をしていてもらったほうが歯止めが効き、わかりやすくもある。


 物の、物であることの強さ、現にそこにあることのパワー、とでも言うか。


 人の顔は札束ではたくから楽しいのであって、クレジットカードやましてやアマゾンの購入画面ではたいたって効果はない。
 給料が、封筒に現金ではなく、銀行振り込みに給料明細になってから、働くオトーサンの権威は地に落ちた、という説もある。