万次郎がいっぱい

 ジョン万次郎


 とこう書いて、そこはかとなく漂ってくるおかしさは何だろうか。


 ジョンで、しかも万次郎だという。どっちやねん、とまあ、別に大阪弁になることはないが、思わずツッコミたくなる名前ではある。


 ジョン万次郎の事跡を知らなくても、たいていの人は名前を知っているだろう。


 漠とした記憶で書くのだが、ジョン万次郎は幕末の土佐の漁師で、漂流して、アメリカの船に助けられた。
 向こうで暮らすことになり、英語も覚えたが、望郷の念やみがたく、日本に帰った。


 中浜万次郎と名を改めて、確か、幕府や明治政府の通訳か何かをやったはずである。


 しかし、世のほとんどの人にとって、そんなことはどうでもいいことだ。
 それよりも、


 ジョン万次郎


 という響き、字面のほうがよほど大事だろう。
 名前と、後はせいぜい、漁師が漂流してアメリカで暮らした、という知識があれば、それで十分楽しめる。言ってしまえば、現代におけるジョン万次郎の存在意義は、それに尽きる。


 ジョン万次郎


 これが「クリストファー万次郎」でも、「アンソニー万次郎」でも、「ロバート万次郎」でもいかんのであって、やはり、「ジョン万次郎」というシンプルさがよい。どこか犬のジョンを思わせるせいもあるだろうか。


 万次郎、という名前もよくて、「ジョン善兵衛」、「ジョン与助」、「ジョン鶴吉」、どれも「ジョン万次郎」にはかなわない。


 ジョンと万次郎。ある意味、奇跡的な組み合わせである。


 しかし、どうして「ジョン万次郎」なのだろうか。
 漂流して、まだ英語を話せない頃に、「万次郎」をファミリー・ネームと間違われたのだろうか。


 だとすると、もし、ジョン万次郎が帰国せず、そのまま、アメリカで暮らしたらどうなったのだろう。


 向こうで結婚し、子どもが生まれ、孫が生まれ、子孫がなかなか栄えたら、今頃、「ピエール万次郎」とか、「ジョセフィーヌ万次郎」とか、「グレゴリー万次郎」とか、「エリザベート万次郎」とか、「イボンヌ万次郎」とか、「ミッキー万次郎」とか、あちこちで万次郎さん達が暮らしているのだろうか。


 たまたまその1人と知り合って、「ハーイ。弁護士のジョン万次郎です。ジョンと呼んでください」と握手してこられても、困る気はする。

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「今日の嘘八百」


嘘七百 通訳としてのジョン万次郎は、英語はよく理解したが、日本語が凄まじい土佐の漁師言葉だったため、何を言っているのかさっぱりわからなかったという。