冤罪にまつわる本を3冊読んだ。
「特捜検察の正体」「冤罪はこうして作られる」ともに、冤罪の原因は共通している。
1. 検察は予断に基づいてストーリーを組み立て、押し通す
「落とす」となったら、検察は強引に犯行のストーリーを組み立て、「証拠」(怪しいものも多い)を組み合わせる。客観的な正否を明らかにすることではなく、「有罪にする」ということが目的となってしまう。
2. 被疑者は勾留・取調べで肉体的・精神的に追い詰められ、自白してしまう
検察の被疑者に対する取り調べは容赦ない。ほとんど拷問に近い。被疑者はしだいに肉体的にも精神的にも追い詰められ、苦しみから逃れたいばかりに検察の作った調書に署名してしまう。その心理は、おれのような心の弱い人間にはよくわかる。
3. 裁判官は検察の言うことを信じがちである
同じ司法官僚だからか、裁判官は検察の調書や主張を頭から信じがちである。そこにある齟齬や根拠の薄弱さを見逃してしまう。
日本の刑事裁判における有罪率は99.9%と言われる。もっとも、逮捕された者のうち、不起訴になるものが50%ほどあるから、正確には(逮捕された者のうちではなく)起訴された者のうち、99.9%(ないしは99.8%)が有罪になるということらしい。起訴する検察は確実に有罪にできる事件を選んで起訴しているわけだ。そして、裁判官は検察が言ってるのだから、と信じてしまう。
その背景にあるのは、官僚の無謬性、つまり、自分たちは絶対に間違いを犯さないという信仰のようなものだ。無謬性といっても、間違いを犯さないよう慎重にことを運ぶというのではなく、自分たちは間違いを犯さない存在だから自分たちのやることは正しいと信じてしまうという、いささか倒錯した考え方である。
官僚国家ニッポンの恐ろしさ、暗がりを感じる。
一方で、警察が逮捕したというだけで犯人扱いするメディアやそれと裏表の関係にある大衆の見方にも問題がある。検察官を「ヒーロー」扱いする(昔そんなタイトルのテレビドラマがあったな)捉え方は怖い場所につながっている。