ザ・バンドの映画「ラスト・ワルツ」(ASIN:B000IU39FU)からヴァン・モリソンの「キャラヴァン」のムービー。
特に最後の1分間のヴァン・モリソンのパフォーマンスは圧倒的だ。
わたしは、あまりに凄いものを見るとゲラゲラ笑ってしまう癖があるのだが、この場面は何度見ても、笑ってしまう。
ザ・バンドのメンバーも同じらしく、演奏しながら、「おいおい、見ろよ。すんげー」と笑っている。
ヴァン・モリソンのファッションがまたイカしている。紫色の上下にスパンコール。はっきり言って、これはひどい。
この衣装を着てヴァン・モリソンが現れたとき、スタッフは「どこでこんな服、買ったんだ?」と不思議がったらしい。
「キャラヴァン」はヴァン・モリソンの作。一昨日も紹介した「ソングブック」(森田義信訳、新潮文庫、ISBN:4102202153)でニック・ホーンビィはこう書いている。
〈キャラヴァン〉は、ぼくの見るかぎり、人生や死をテーマにした歌ではない。楽しげなジプシーやキャンプファイアやラジオのボリュームをあげたりすることを歌った歌でしかない。
ホーンビィは否定しているわけではなくて、「それで十分なのだ」という意味で書いている。
実際、歌詞だけ読むと何ということもない。しかし、歌になると狂熱的な喜びが生まれる。
次のリンク先は「キャラヴァン」の歌詞。ムービーのものとは多少、言葉が違っている。
・Lyrics Freak - Van Morrison, Caravan
内容をかいつまんで書くと、ジプシーの一団が旅の途中でキャンプしている。エマ・ローズがラジオに合わせて演奏している。ジプシーのロビン、それに可愛いエマ・ローズ。ジプシー達はたき火のまわりで演奏し、歌っている。ラジオのボリュームをもっとあげてくれ。お前を抱きしめたくてたまらなくなってきた。
わたしが特に好きなのは、“Barefoot gypsy boy round the campfire sing and play”(裸足の少年がたき火のまわりで歌い、弾いている)というところ(boyではなく、playerとなっているバージョンもあるが、boyのバージョンのほうが好きだ)。
英語だけ読むと、ふーん、てなもんだが、ヴァン・モリソンが歌うと、音楽の喜びにひたっている少年の姿が目に浮かぶようだ。
それから、“I long to hold you in my arms so I can feel you”(お前をこの腕で抱きしめたくてたまらない。お前を感じられるように)。
歌で聞くと妙に肉感的で、抱きしめている体の丸みややわらかさ、息づかいまで感じられ、何だかたまらない心持ちになってくる。
えー、そんなにはコーフンしておりません。ハァ、ハァ。
ホーンビィはこんなことも書いている。
よろこびだとか、純粋な希望だとか、拳をつきあげたくなる勝利の瞬間だとか、つらいことや苦しいことや悲しいことをのりこえたときに感じるシンプルな満足感などを体験したことのない人は、あまりに不運だと言わなければならないだろう。ぼくにとって〈キャラヴァン〉とは、そんなよろこびや希望を見いだし、ひとつにしてくれる歌だ。
「キャラバン」は「楽しげなジプシーやキャンプファイアやラジオのボリュームをあげたりすることを歌った歌でしかない」。しかし、生まれて生きていることの喜びに溢れている。歌というのは不思議なものである。
それではミナサン、歌詞を読みながら、もう一度、ヴァン・モリソンとザ・バンド、お聞きください。なお、ムービーの演奏では2題目がなく、1題目の後、3題目をやってます。
終わりのほうで、ヴァン・モリソンが「ボリュームを上げろ!」と拳を振り上げると、ホーンセクションがパワーアップするところも、お見逃しなく。
・Lyrics Freak - Van Morrison, Caravan
いやー、カッチョいー。やっぱ、笑ってしまうわ。
今日はわたしが愛しているものを一方的に押しつけました。たまにこういうことを無性にしたくなるのよね。
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「今日の嘘八百」
嘘五百五十五 子どもの頃のトラウマで、雪舟は縛ってもらわないと水墨画を描けなかったらしい。