前向き・後ろ向き

 大ざっぱな話だが、生きる姿勢として前向きな人、後ろ向きな人がいる。


 ジョーショー志向の人、というのもいて、私は苦手なのであまり近づかないようにしているが、「ゲット! 社長の座」とか、「ゲット! 巨万の富」とか、「ゲット! 酒池肉林」とか、まあ、そんなタイプである。


 ただ、前向きな人が全て強いジョーショー志向を持っているというわけではない。
 「悲しいことがあっても、強く生きていこう」と決意する人もいれば、「とりあえず、ロールキャベツをマスターしたい」という人もいる。


 恋、というものに一生懸命な人もいますね。
 なんとか気を引きたい、思いをわかってもらいたい、というので、相手の家のまわりをぐるぐる回ったり(野犬だな、ほとんど)、5m後ろを歩いたりして、ストーカーと呼ばれてしまうのである。
 ストーカーも前向きである。ただ、相手に迷惑がられているだけなのだ。


 前向きならいいのか、というと、必ずしもそうとも言えないようである。たとえば、世界征服をたくらむショッカー等々、一連の方々も前向きだ。


 歴史上の有名人物には、前向きな人が多い。前向きだから名を残せたとも考えられる。


 チンギスハンおよびその息子達は、とても前向きだったようで、モンゴルから中央アジア、ヨーロッパ、中国北部へとダバダバ進撃していった。
 あちこちで前向きに殺戮を繰り広げたようで、毀誉褒貶、いろいろあるようだ。やはり、前向きならよい、と単純にはいえないことがわかる。


 葛飾北斎は、死ぬ間際に「あと十年生きたいが……せめてあと五年の命があったら、ほんとうの絵師になれるのだが」とつぶやいたそうだ(山田風太郎著「人間臨終図巻III」より)。
 前向きというか、執念というか、往生際が悪いというか。


 一方、後ろ向きの人というのは、過去を振り返っては泣いてばかりいる。
 「昔はよかった」、「あの頃に戻りたい」、「私はどこで道を誤ったのだろう」、「あのとき、こうしていれば」とまあ、涙に暮れる。


 前向きな人は、そういう姿を見て、「まだまだこれからだよ」(まだまだという言葉が出てきた時点で、すでに手遅れ感があるのだが)、「過去を振り返ってばかりいないでさ」などと忠告する。
 が、まあ、こういうのはなかなか難しくて、後ろ向きの人にとっては、過去を振り返るのが甘い娯楽の場合もある。なぜなら、過去はすでに安定しており、不確定な未来より安心で、優しいからだ。


 和歌については、高校の古文の授業程度の知識しかないが、古典の段階ではあまり前向きのものはなかったように思う。


 見渡せば花も紅葉も鳴く鹿も
     頑張れ負けるなラジオ体操


 こんな歌は、少なくとも後の世には伝わらない。


 美しい、うれしい、という現在についての歌と、昔はこうだった悲しい悲しいという歌はいろいろあったけれども、将来に向かってポジティブに構える歌はあんまりなかったんじゃないか。


 奈良・平安のやんごとなき方々が全員後ろ向きだったとはいわないけれど、あはれ、あはれとあはれることが、ある意味、娯楽だったんだろうと思う。


 私はどういう姿勢かというと、少なくとも前向きではない。かといって、感傷的になることもあまりなく、あえていえば、斜め向きの人である。
 しかも、進むということはなく、要するに斜に構えて通り過ぎていくものを見ているか、面白がっているか、理解できないで困っているかである。


 しかも、片肘ついて横になっている。鼻くそをほじって、その巨大さに、しばしば驚く。


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