会議などで「空気を読む」ということがよく行われる。白状すると、おれも割に読む。読んだ後、どうふるまうかはいろいろである。
あの「空気を読む」という行為、どういう仕掛けになっているのかなあ、と時折、考えることがあった。山本七平に「『空気』の研究」という本があって読んでみたのだが、何を言っているのかよくわからなかった(おれの圧倒的能力不足のせいだろうが)。
先日、小田嶋隆のコラムをたまたま読んだらこんなことが書いてあって、ああ、そういうことだったのね、と得心がいった。
私の思うに、大多数の日本人は、なにごとにつけて常に多数派であるようにふるまうべく自らを規定している人々なのであって、それゆえ、少数派である瞬間が、仮に生じたのだとしても、その時点で即座に彼は、自分の考えなりライフスタイルなりを捨てて多数派に鞍替えするのであるからして、結局のところ、われわれは、永遠に多数派なのである。
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なんだ、簡単な理由じゃないか。常に多数派であろうとするから、今現在どんな意見や感じ方が多数派であるかを感知しようとする。それが「空気を読む」という行為であるらしい。
おれは日本以外の国に住んだことがないし、外国人が大勢出るような会議にも参加したことがないから、常に多数派であるようにふるまうのが日本人の特性なのか、それとも他の社会の人々にも大なり小なりあることなのか、わからない。また、得心がいったのもあくまでおれの直観であって(これがまたよく間違うのだ)、論理的に説明する能力はないし、経験的に説明するほどのやる気はない。
空気を読む行為にはもっと細かい仕掛けが働いているのかもしれない。また、常に多数派であるようにふるまうことを世の少年少女たちがどういうかたちで学んでいくのかにも、ちょっと興味がわく。しかし、長年の疑問が氷解したので、今日はご報告だけにとどめて、チャオ。
- 作者: 山本七平
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