靴下の墓場

 洗濯物を干しているとき、よく靴下の片方がなくなっていることに気づく。洗濯機のまわりや、物干しまでの動線を探してまわるのだが見つからない。
 この「靴下がなぜか片方だけなくなる現象」は国際的な問題であるらしく、イギリスでの調査によると、イギリス人は月平均1.3足の靴下(の片方?)をなくすという統計結果が出たそうだ。世知辛い世の中であるからして、イギリスでも、そしておそらく日本でも、片方だけなくした靴下は新たな靴下の需要を生み、景気の下支えをしているのであろう。また、確か、同じイギリスでこの「靴下がなぜか片方だけなくなる現象」に取り組んだ心理学者がいたと記憶している。結論は忘れてしまった。
 おれはこの謎に別の側面から光を当ててみたい。この世にはきっとどこかに「靴下の墓場」があるのだ。
「象の墓場」は有名な伝説である。象には人目につかない決まった死に場所があり、死期を悟った象はそこへ行って、ひっそりと死ぬ。「猫の墓場」伝説というのもあり、内容は象の墓場とほぼ同じである。
 そして、靴下もまた、死期を悟ると、決まった死に場所に向かうのである。夜中、あるいは家の者が全員外出しているとき、靴下はそっと旅に出る。その墓場が近いのか遠いのか、おれは知らない。靴下の死期がどんなものかもわからない。かかとの部分が擦り切れたり、親指部分に穴が開いたり、すねの部分がへたへたになったりしてもしぶとく残る靴下もあるから、必ずしもみなが老いて死ぬというわけでもないのだろう。若死を悟る靴下もあるのだ。
 靴下はペアで履くものだから、当然、靴下にはパートナーがいる。死期を悟った靴下は、パートナーにどんな挨拶をして、旅に出るのだろうか。