ガジェット好きのカリスマ

 スティーブ・ジョブスが亡くなった反応というのは随分大きくて、ちょっと驚くほどである。
 おれのまわりには、世代のせいもあるが、Macintoshが出た頃にコーフンした人々が結構いて、この人達はかなりの高確率でiPodiPhoneiPadにもコーフンしたから、ジョブスの死には相当な衝撃を受けたようである。ジョブスはハードウェア+アプリケーションの組み合わせのカリスマであった。
 おれ自身は、二十代の頃、Macintoshにコーフンした。しかしいつ頃か、マシンやアプリケーションにはあまり興味がなくなった。iPodはちょっと面白いなと思ったし、今でも愛用しているけれども、iPadは買ってみてから不要だったな、と感じた。iPhoneはそのうち必要になったら買うかもな、という感じである(こうやって書いてみると、何だかんだ言ってもAppleには惹かれているようである)。
 男のガジェット好きというのはあって、かつてはクルマやオーディオに向かっていたものが、今は情報機器(アプリケーションを含む)に移ってきているのだろう。そこをくすぐるものを洗練した形でいろいろ繰り出してみせたところがジョブスの真骨頂だったのだろうと思う。ジョブスの出したものの代わりになるものは必ずある(Macintoshに対してWindowsiPhoneAndroid、というように)。しかし、ライバルに比べてジョブスの出すものは必ず洗練されている。逆に言うと、ジョブスの出すものは必要不可欠なものではなかったとも言える。ガジェット心をくすぐるいい気分で操れるものを出す、というのがジョブスのうまいところだったのだと思う。
 おれはあまりガジェットに惹かれないし、ジョブスに対する特別な思い入れもない。しかし、やはり希有な才能を持つガジェットの芸術家であったと思う。