人を馬鹿にするな

 かんぽの宿をどうするという話について、特に意見はない。よきにはからえ、ワッハッハ、てなものである(社会参加の意志というものがまるでない)。

 しかし、毎度書くけれども、この手のひらがな表記は何とかならんもんかと思う。

かんぽの宿

 である。おまえらのレベルはこの程度のもんだろう、と馬鹿にされている気になる。

 しかも、「か」の字を一度他のひらがなに置き換えて見てしまうと、毎回、その置き換えた名前を思い起こさずにいられない。そうして、己の品位の低さに慄然とする*1

 同じ郵政方面には「ゆうちょ銀行」というのもあって、これまた人を小馬鹿にしたふうである。

ゆうちょ銀行

 字面を眺めていると、その侮蔑に、全身の毛穴から血が吹き出る感すら覚える。「ゆうちょ!」。ジジイ、そこに直れっ!!!

 おそらく、郵政の役人がこれらの名称を決めたとき、馬鹿にするとか、侮蔑するつもりはなかったのだろう。単に「親しみやすく」ということだったのだと思う。

 しかしながら、その「親しみやすく」というのは幼児の親しみやすさであって、相手をきちんと大人として扱ったものではない。一方的に子ども新聞を突きつけるな、と思う。

 そんなにひらがなが好きなら、

けいむしょ

 とか、

ふほうしゅうろうがいこくじんたいさくきゃんぺーんげっかん

 とでもしたらどうか。と、侮蔑への怒りから、各省庁の管轄範囲を全く無視して難癖つけておく。

 ひらがなが絶対いかんというわけではない。例えば、

料亭 つきの家

 なんていうのは結構だし、

おつたの宿

 というのも、おそらく女将であるのだろうおつたさんに会ってみたいと思う。

スナック すえつむはな

 も、まあ、ママが垂れ下がった赤い鼻なのかもしらんが、字面は悪くない。

 一般に和語(月、お蔦、末摘花)はひらがなと相性がいいのに対し、漢語(簡保郵貯)はひらがなにすると幼稚になる。日本に漢字・漢語が伝わって千数百年、いまだに和語と漢語が同化せず、和語には和語の使用感が、漢語には漢語の使用感が伝わっていることには、ちょっと驚くし、感心もする。

 和語=ひらがなOK、漢語=ひらがな小馬鹿、というのは銀行の名前で考えてみればわかる。

「瑞穂」をひらがなにした

みずほ銀行

 は違和感がないが、

みつびしとうきょうゆーえふじぇー銀行

 は、ふざけるな、と感じる。

 もちろん、和語なら何でもひらがなにしてよいというわけではない。

ふれあいハウス

 なんていうのは、小馬鹿にされた感じがする。おそらく、この手の名前をよしとする人の「ふれあい」なるものの捉え方が、単純で幼稚だからだろう。こういうものを見るとわたしは、

触れ合いハウス

 とでもして、ハウスの中でさんざん触り合いをしておれ馬鹿者ども、と思う。

*1:「さんぽの宿」である。