本屋に行くと、理系がどうのこうの、という本が目に止まった。
それなりに売れているのだろうか、レジの近くに何冊も置いてあった。
ああいう話というのは、星占いや血液型性格判断と同じなんではないか、と思った。
人をタイプ化することにヨロコビを見出す、その性根をつつくのだろう。だから、流行る、売れる。
個々人というのはどこかとらえどころがないから、単純にわかった気になれる道具があると飛びつくのだと思う。たいがいのナントカ人論と同じである。
タイプ化してプチ差別することが楽しいのであって、そのタイプ化が本当に正しいかどうかはあまり関係ない。正しいように思えればよいのだと思う。あるある、それそれ、ということになれば、それで満足なのだ。
わたしは文系か理系か、と問われれば、おそらく文系ということになるのだろう。
しかし、そのココロは、少なくとも理系とは思えない、数式や化学式を見ても途方に暮れるから、というに過ぎず、同じ伝でいえば、ナマコもザリガニも文系である。
理系がどうの文系がどうの、という話にはあまり興味がわかないが、血液型性格判断にはいくらか興味がある。
といっても、A型はどうだO型はどうだはどうでもよい。
あれ、統計をとると、全然信憑性がないのだそうだ。
しかるに、それを、どうして人は「当たってる、当たってる」、「やっぱ、○型だねえ」などと感じるのか。
血液型が何だから性格がどうだ、という話をただただアホウのように繰り返しているより(というかアホウである)、「当たってる」と思い込む人間の心の動き方のほうが、よほど興味深いと思うのだが。