高田文夫の「笑芸日記 一九九六 - 二〇〇五」(ちくま文庫、ISBN:4480422269)を読んでいたら、みのもんたについてのこんな文章があって、笑った。
1998年6月、タレントの中山秀征の結婚式に出席した高田文夫――。
しかし行ってみて嫌になった。私のテーブルの柄の悪いこと。丸テーブルの正面にみのもんた、私の隣になぎら健壱。これだけで呑み出したら恐いぞという面々なのに福留さん、草野さんというNTVのワイドショーでおなじみの顔。三宅裕司にモト冬樹。何故か谷啓さんに奥村チヨ。もうよく分からない。またこのテーブルをみのもんた氏が仕切る仕切る。「さぁ呑んで呑んで。そっちは水割り? こっちは日本酒ね。ヨシッ、ボトルとっちゃおう一本! 分かりゃしないって。中山のヒデにつけときゃいいんだから」としまいにはボトルはとるわ、ラベルに名前を書いちゃうわでめちゃくちゃ。そこへ和田アキ子がやって来て、
「ここにぎやかやなァ。飯場の宴会じゃないんだから。私も一杯いただくわ」
と、私の椅子に半分腰かけ二人で一つの椅子に三十分。そうこうしている内に新婦側の友人ヅカガール(稲本註:新婦は元宝塚)の若いのが五十人。袴姿でズラリと並んで『すみれの花咲く頃』。う〜んこりゃいい。身も心もやっと洗われた。余韻を楽しんでいると赤ら顔のみのもんた氏、
「高田さん、どうする? ショーチューもらう? お湯で梅割り?」
ウーン、みのもんた恐るべし。結婚式にみのもんたを呼んではいけない。
いやー、みのもんたの「みのもんた性」とでもいうべきものが実によく出ている。
他に何も付け加えることはない。お腹いっぱいです。
――と書いた早々に付け加えるが(思いつきで生きてるんでね、ご勘弁)、みのもんたの展覧会、なんてのはどうだろう。
いや、みのもん氏が出展するんじゃなくて、さまざまな画家や彫刻家が全身全霊を傾けて制作した、みのもんたの肖像画や彫像が並ぶのだ。
みのもんたという一人の人間の内奥が、えぐり出されるように表現された作品の数々。
伝説と化すような、凄まじい展覧会になるんじゃないか。
そこから美術史に「もんた派」なんてのが名を残したりして。ヤダネー。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘二百六 あの世で、スパムメールの発信者をどの地獄にまわすのが妥当か、相談中だそうだ。