夢、やりたいこと

 大学生くらいの世代の「やりたいことが見つからない」という話を時々、見聞きする。


 就職期が近づくこともあって、切実な焦りを覚えるのだろう。


 しかし、大学生くらいの段階では、やりたいこと、夢なんて、見つからなくて当たり前だし、見つからなくてかまわないと思う。


 何しろ、彼ら・彼女らは、6・3・3と12年、一日の半分は、机に座って先生の話を聞いてきたのだ。放課後に体験できることだって、部活動か友達とのだらだら遊びか塾かバイトか、普通はたかが知れている。
 大学まで来ればもう少し活動に幅ができるかもしれないが、それにしたって、真似事のようなものがほとんどだろう。


 夢、やりたいことを見つけた、という人だって、「見つけたことにしている」人が、案外、多いんじゃないか。もちろん、全然それでかまわない。


 自分の大学時代を思い返すと、「このまま、社会人になんのかあ」という焦りのようなものはあった。
 しかし、今思えば、それは最後の花火が短くなっていくのを見ていたようなもので、大学生という勝手気ままなモラトリアム期が終わるのが惜しかっただけだと思う。


 当時のわたしには、特にやりたいこと、夢、なんてものはなく、「生活には金がいるから」、「他のやつもそうするから」という理由で、ごく普通の企業に就職した。


 就職してみて初めてわかることというのもあり(社会人になったらね、電話で「いつもお世話になっております」とあんまりお世話になっていない人にも言わなければならないんだよ。知ってた?)、またいろいろ人間関係もできたりして、へごへごと曲がりくねって、今に至っている。


 むしろ、夢、やりたいことを見つけるべきだ、とする風潮のほうが、どうかしてるんじゃないか、と思う。


 テレビはしばしば、思い切ってどこかの世界へ飛び出して成功した人物を、5分くらいの尺でまとめ、賞賛する。
 その1人の成功者の裏にいる5人くらいの中途半端な状態の人、何人いるかわからないぐだぐだの失敗者が取材されることは、あまりない。
 あるいは、現実には失敗者だって、「夢を持って上を向いています」というだけで素晴らしい人物のように描かれる。


 変な風潮だなあ、と思う。
 そういう風潮があるから、勘違いしてギター持って駅前に立ち、下手くそな歌を“一生懸命に”歌う迷惑なやつが出てくるのだ*1


 ああ、書いているうちになぜだか腹が立ってきた。しばらくお待ちください。


 ……大丈夫です。布団をパワーボムでノしてきました。


 そんな風潮に乗っかると、夢、やりたいことがないというだけで、つまらない人間にされかねない。


 そんなことはない。別に夢、やりたいことを持っていなくたって、魅力的な人、いい感じの人はいっぱいいる。むしろ、そっちのほうがずっと多い。


 夢、やりたいことを持つべし、という風潮は、長い人間の歴史の中では、特殊なこと、もしかしたら異常なことなのではないか。


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「今日の嘘八百」


嘘百八十四 わたしの夢は、死ぬまで生きていることである。

*1:聞かされるほうからすると、歌っているやつが一生懸命かどうかなんてどうでもいい。人前で歌うなら、まず目の前にいる人を楽しませることを考えろよなー、と思う。