テレビの落語

 外出するときは、よく携帯プレーヤーで落語を聞く。「携帯音楽プレーヤー」と言うけれども、わたしにとっては「携帯落語プレーヤー」だ。


 退屈しないし、のんびりした気分になるので、オススメだ。
 ただ、最近の落語家だと全般にテンポが早い。それはそれでいいが、ちょっとせせこましいふうになる。


 志ん生、馬生、志ん朝の親子三人(志ん生が親で、馬生と志ん朝が兄弟)が春風駘蕩といった感じで、電車の中なんかにはいい。


 まあ、時々、笑いをこらえなければならないのだけが、難点といえば難点だが。


 一度、確か、志の輔を聞いていたときだったか、ぷっ、と吹いたことがある。
 間の悪いことに、向かいの席に座っている爺さんと目が合った。爺さんは何かついているのかと顔をなでた。
 それがまたおかしくて、笑いを抑えるのに往生した。


 無理に笑いを我慢するのはよくない。
 顔がゆがむのが自分でもわかった。歌舞伎役者が見得を切るような表情になっていたかもしれない。
 これはどうにもならん、と、次の駅であわてて降りた。プラットフォームに出てから、わはははは、と激笑した。


 不思議なのだが、ヘッドホンで落語を聞くのはいいのだけれども、テレビで落語を見ても、何だかつまらない。
 仕草、身振り手振りも入るから、テレビは落語という芸を鑑賞するのに向いたメディアに思えるのだが、実際にはそうでもないのだ。


 漫才はテレビで見ても面白い。
 しかし、落語は面白くない。


 この違い、何のせいだろうか。


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「今日の嘘八百」


嘘百八十三 国立博物館人間国宝を陳列するそうだ。