最近、ヴィジュアルな著作物についての興味深い出来事が、3件起きた。
と書き出してはみたものの、実はあまり考えがまとまっていない。
まあ、いつもの出たとこ勝負なのだが、今日の話は多少、理屈もからみそうだ。ぼんやりと頭の中に漂っていることはあるのだが、うまく捕まえられるかどうか。
干していたパンツが風で飛んでいって、隣の雨樋に引っかかり、塀越しに棒でとらえようとしているような具合である。
ままよ(パパよ)、最初の話。
洋画家の和田義彦氏に盗作疑惑が持ち上がっている件。
・洋画家・和田義彦氏、作品酷似で文化庁に調査うける - SANSPO.COM
無名の画家なら、ほとんどの人にとって知ったこっちゃない話だったろう。
しかし、和田氏は間の悪いことに、この春、芸術選奨文部科学大臣賞を受けていた。さらに悪いことに、盗作疑惑の作品が、受賞理由となった展覧会に出展されていた。
「そんな高名な人が」、「そんな作品を理由に役所は賞をやるのか」というわけで、テレビニュースや新聞でも、そこそこ大きな扱いになった。
元になったとされる作品は、イタリア人画家アルベルト・スギ氏のもの。
リンク先にある作品以外にも、他のメディアでいくつか疑惑の作品が紹介されていた。構図は、どれもほとんど同じだ。
和田氏本人は「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と言っている。
構図はクリソツ、まんまパクリだが、絵の筆致がどうなのかは、生で両方の作品を見比べてみなければわからない。
テレビニュースや新聞、ウェブでは筆致が平坦につぶれてしまう。
絵の魂とは構図ではなく筆致だ、和田氏は、あえて同じ構図を使うことで、絵画における筆致の重要さを主張したのだ、盗作騒ぎになるのをあらかじめ見越して、そういう意図を絵に込めたのだ、という見方もできないではない、ことはないのかどうなのかどう思いますかですかどすかだすか。
しかしまあ、この線はなさそうだ。
本人は「公の場に発表したことは倫理的に問題があったかもしれない」と言っている。もし筆致の重要さを訴えたいなら、構図はスギ氏の絵を使ったとあらかじめ公言しておくだろうし。
コンセプチュアル、っつーの? ある種の現代アートみたいに、ややこしいリクツが裏にあったようには見えない。
明らかに盗作を意図したことも考えられる。これについては、何とも判断がつかない。
ただ、和田氏はもっと無邪気に、構図を気に入って描いた気はする。
アルベルト・スギ氏は本国では有名な画家だそうだ。和田氏にやましい気持ちがあったなら、すぐにバレるようなヘタは踏まないだろうからだ。
別に和田氏を弁護しているわけではない。無邪気ならいいってもんじゃないことがわかる程度には、わたしだってオトナである。
絵の実物を両方並べて、見比べてみたい。絵における筆致の意味や、それぞれの画家の絵画的思考がよくわかる気がする。
どこかで、そんな展覧会やってくれないかな。案外、絵というものについて考える/感じる、いい展覧会になりそうに思うのだが。
スギ氏は「日本で展覧会ができれば、私の本当の絵画スタイルが理解されるだろう」(5月29日のトーチュウより)と売り込みとも取れるコメントを述べているし。
長くなってしまった。残り2つについては明日以降、書きます。気が向いたら。
パンツ、取れねえ。
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「今日の嘘八百」
嘘百四十九 わたしの顔は父親の顔の盗作だ。逮捕してくれ。