権利と政策

 ナントカ権、ナントカ権と、やかましい時代になってきた。


 著作権、特許、商標権といった昔ながらの権利も複雑になったうえ、肖像権なんていうのも最近、小うるさくなってきた。


 人間はウシ・ブタ・ニワトリ・シチメンチョーを食う一方で、アニマル・ライツとやらも主張するようになってきて、わたしにはあれがどうもうまく理解できない。頭が悪いのだろうか。


 話は変わるが、日本の政治は欧米の政策を真似することが多いようだ。


 ――いや、ホントに話がころっと変わっしまったが、大丈夫。
 権利の話は東海道へ入って、政策の話は中山道のほうへ。大津へ行ったら出くわすだろうと、まるで敵討ちのような按配で、そのうち、きちんとつながります。


 日本の政府がオリジナルで画期的な政策を打ち出したことって、今までどのくらいあるんだろうか。皇室方面とか戸籍とか、土着的なものは別として。


 何となくの印象だが、欧米の政策を参考にして、結果を見て、日本向けにアレンジすることが多いように思う。


 いや、それがいかん、などと言っているわけではないよ。わーっと集団で出かけていって、いただけるものは素早くいただいてしまう、というのは遣隋使と和冦以来、ニッポンのお家芸だ。


 さて、ここが大津だ。出くわした。


 最初に書いた権利のうち、著作権、特許というのは、何かを考えついた人、新しく創った人に利益を与えることで、世の中全体のアイデアや製作物を増やそうという手法だ。
 ま、馬の鼻ヅラにニンジンぶら下げる戦法、である。しかし、人間世界の話なので、アニマル・ライツの人々は静かにしている。


 政策も、アイデアの一種だ。
 今はよその国のうまくいった政策を平気でいただいているが、そのうち、「政策権」なんていうものを主張する国が出てくるんじゃないか。
 スウェーデンやオランダのような、新しい政策を果敢に採用していく国が、真似した国に「金よこせ!」と主張する時代が来るのでは、と思うのだが、どうだろう。


 ま、政策というのは、「困った、困った、どうにかならんか」という問題を解決するために模索することが多い。特許や著作権のように、鼻ヅラにニンジンをぶら下げる必要はないのかもしれない。


 しかし、真似された国からすると、「我々はこれだけの時間と労力をかけてこの政策を形にしたのに、あやつら、簡単に真似しやがる。おいしいところだけ取りやがって」と不満を覚える気もするんだけどな。


 そんな時代になったら、遣隋使集団は困るだろうなあ。


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