真相を探る

 先日、写真部の集まりがあり、この話をした。


 写真部というのは、各自が撮った写真を見せ合っては、自画自賛したり、他のやつの写真をボロクソにけなしたりしている、実に醜い集団だ。
 しかし、脱退すると、“幸運を呼ぶネックレス”の広告に、顔写真とともに「僕にも可愛い彼女ができました!」という“体験談”が問答無用で投稿されるため、全員、嫌々、参加している。


 写真部の連中からは、「イナモト家は代々、浮かぶ一家なのではないか」という仮説が出た。
 つまり、イナモト家の中で、それまで、私だけ浮かぶことがでなきかった。実は私が眠っている間に、家族はそこらへんをひゅーひゅー飛び回っていた、というのだ。


「ヨシノリはあれだねえ、随分、浮かぶのが遅いねえ」と、ハイハイの遅い赤ちゃんを心配するように、私がいないところで家族は話していた。
 しかし、世間的には、夜中に浮かぶのは、やはり、異常なことである。
 もし私が浮かべない人間なら、コンプレックスを持たせたり、コンプレックスゆえの歪んだ心理で一族の秘密を世間にばらしたりしないよう、黙っていた。


 もしそうなら、あの私が浮かんだ一夜は、私にとって記念すべき最初の一夜であり、そして、最後の一夜でもあったわけだ。
 どうやら、私は不肖の息子であるらしい。絶対的な才能を受け継がなかった者の悲劇を感じる。


 もうひとつ出た仮説は、「その日、親父も浮かんでいた」というものだ。


 私が水平に浮かび、焦りながら階段を降りていったとき、親父も水平に浮かび、焦りながら階段を昇っていった、というのだ。


 ふたりは階段でニアミスを起こした。
 私は「親にこんな姿を見られたら、マズい」と焦っていた。親父は「息子にこんな姿を見られたら、マズい」と焦っていた。


 しかし――幸いと言うべきか――私は仰向けの状態であり、親父はうつぶせの状態だった。
 お互い、すれ違っていることに気づかなかった。
 そして、父は再び一階へ、息子は二階へと戻っていった。


 翌朝、お袋に飯をよそってもらいながら、親父と息子はそれぞれ、昨夜、自分の身に起きた異常事態について、話せないでいた。言葉少なに飯を食い終えた。


 これは面白い。いい情景だ。
 そうして、父と息子は今でも話せないでいるのである。


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