グルーヴと共感

 さて、知らない曲についての批評があったとして、それは読み手にとって面白いのだろうか。


 たとえば、サンタナの「君に捧げるサンバ」の章から。


「セクシー」という言葉で語られる音楽はあまたあるけれど、でもそれが、実際愛をかわすときに耳にしていたい音楽とはかぎらないはずだ。ほとんどの曲はセックスの必需品ではなく、セックスの代用品でしかない。そんなの、ちっともヤレない人(もしくは家に帰るまでヤレない人)のものだろう。ヤレる人のものではない。マーヴィン・ゲイの《レッツ・ゲット・イット・オン》にあわせてファックして、笑わずにいられる人なんているだろうか。


 私は大笑いした。


 あ、いや、実際に《レッツ・ゲット・イット・オン》を流して実験してみたわけではなくて、この文章を読んでだ。


 しかし、残念ながら、《レッツ・ゲット・イット・オン》を聴いたことのない人は笑えないと思う。


「ソングブック」に書かれている曲の多くを私は知らない。だから、書かれていることがよくわからないところもある。
 でも、知らなくても、面白いところは面白い(当たり前か)。いや、この本については、知らなくたって、面白いところのほうが多い。


 これは、自分が愛している歌だからといって溺れずに(別に溺れたっていいけど。書いていないときは)、他のところから出てきた考えなり感情なり感覚なりを読み手に渡さないと、できないことだと思う。
 昨日の「アイルランドの子守歌」みたいに、「素晴らしい、好きだ、聴いてくれ!」と書いたって、たいていは「あ、そ」で終わってしまうのだ。抜かったな、我ながら。まったく。ちっ。


 たとえば、スイサイドの「フランキー・ティアドロップ」という曲を私は知らないのだが、ホーンビィの言いたいことはよくわかった。


「もう何年もたつというのに、今でも<フランキー・ティアドロップ>を聞くと頭に銃弾を受けたような気分になる」――彼らのファースト・アルバムが再発されたとき、あるレビューワーがそんな好意的な評を書いた。ふたむかしほど前なら、それだけでぼくはこのアルバムを買いたくなっただろう(「頭に銃弾だって? ワオ! クラッシュだって蹴りを入れられたくらいにしか感じなかったのに!」)。しかし今では、頭に銃弾なんてくらいたくないという結論に達したし、そんな特殊疑似体験をさせてくれる芸術作品なんてなくても生きていける。危険にとりつかれるという奇妙な現象は、いかにも現代的だ。とどのつまりそれは、平和と繁栄と教育過多から生まれたのだと結論づけざるをえない。相手が戦争のまっただなかから帰ってきた男だったら、評論家だって「頭に銃弾を受けたような気分」になる音楽を薦めたりするかどうかは疑問だろう。もし薦めたとしても、相手の男はよろこびいさんで近くの大型レコード店にそのアルバムを買いに走るだろうか。


 ライブで、スローブルースかなんかで演奏がいい感じになってくると、観客が感極まったように、「そうだ、○○!」と歌手に声をかけることがある。私も、声をかけたい。「そうだ、ニック!」。


 調子に乗って、ガンガン引用している。
 ホーンビィの文章は読んでいて気持ちがいい。本人は、歌を作れたら作家になんかならなかった、と書いているけれども、彼の文章にはグルーヴ感がある。そうして、共感や賛同を基本にしている。
 ということは、ポップス的で、ヒットする要素を備えているということだと思う(もちろん、だからといって、必ずヒットするわけじゃないけれど)。


 何だか、私の書く文章まで、ホーンビィの文体に浸食されてきた。いや、翻訳だから、正確にはホーンビィと訳者の森田義信氏の協働作業の文体に(森田義信氏がどういう方かは存じない。何しろ、私は翻訳者というと、戸田奈津子堀口大學しか知らないのだから)。


 このまま、大量に引用しただけでは、いささか、後ろめたい。
 もし、引用した文章が面白いと思ったら、ぜひ本屋に慌てて出掛けて、買っていただきたい。たかだか税込み580円だし。
 そうなれば、この、引用ばかりの文章も宣伝になり、いくらかは罪を償える。


 最後にもう一箇所だけ、引用させていただきたい。


 イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズの「リーズンズ・トゥ・ビー・チアフル(パート3)」について。


 イアン・デューリーはもう亡くなったが、イギリスのオヤジ・パンクロッカー。
 ザ・ブロックヘッズはパブロック出身の腕ききのバンドだ。イカしたノリノリの演奏をする。忌野清志郎と共演したこともあるから、覚えている人も、結構、いるかもしれない。


<リーズンズ・トゥ・ビー・チアフル>は、国歌として最高なのではないだろうか。聞けば聞くほど、そう思えてくる。(中略)実際トニー・ブレアにガッツがあるんだったら、女王のところへ行って、もうあんたのことなんて誰も考えちゃいないんだし、古い国歌(稲本註:“God Save the Queen”)は的はずれになっちまったんだから、これからスポーツ・イベントや国家のセレモニーではデューリーの歌を流したほうがいいんじゃないか、と説得すべきだろう。想像してほしい。イングランド代表の前にたったデイヴィッド・ベッカムが「夏まっ盛り、バディ・ホリー、仕事きっちり、グッド・ゴリー・ミス・モリー、そしてヤリヤリ」と歌い、残りの選手が「ベッドにもどればいいのにさ」とコーラスするなんて。国全体の士気は計算不能なくらいに上昇するのではないか。


 最高だ!


 イングランドのサッカーの雰囲気が伝わってくる。イアン・デューリーの野蛮で共感を呼ぶ歌(俺達の歌、という感じがあるんだろう、イングランドのある層には)は、確かに合いそうだ。


 ところでこちとら、引用タップリしたせいで、仕事きっちり、とてもムリ。ベッドにもどればいいのにさ!


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