平成の衝撃

 平成も17年まで来た。
 ということは、今の高校生は、昭和から平成へと移り変わったあの時期、まだ生まれていないか、少なくとも実体験としてはほとんど覚えていないわけだ。


 しばらく視線が遠くのほうをさまよった。


 冒頭に掲げたのは、昭和天皇が亡くなり、新しい元号が発表された瞬間の写真である。
 私は、あの瞬間、どういうわけか、衝撃を感じた。そして、今でも非常に印象深く覚えている。他の人はどうなのだろう。
 なぜ衝撃的だったのか、どうして今でも強く印象に残っているのか、よくわからない。


 ひとつ考えられるとしたら、「平成」という文字の古くささだ。


 当時、世はバブルというやつで、ウハウハ気分に溢れていた。レストランでは高級ワインがポンポン空けられ、街にはクリスマスでもないのにイルミネーション。奇態なビルが建設され、チャラチャラした高級自動車が売れる、と、そういう時代だったのだ。
 昭和天皇が亡くなったときはさすがに自粛ムードになったが、それでもベースにはバブル気分があったと思う。


 そんなブランニューが喜ばれる浮ついた時代に、突如として出てきた「平成」の二文字。しかも、筆文字で。
「平成」は「平城京」に文字が似ていて、平成→平城京奈良時代→古くさっ!、と連想が働いたのかもしれない。


 もうひとつ考えられるのは、「平成」を掲げたのが、小渕元首相(当時は内閣官房長官)だったという理由だ。
 ハコフグのような、のんきな父さんのような、あの顔。ただそこに座っているだけで、なんともいえない茫洋とした空気が漂う。


 試しに、写真の顔を橋本元首相に変えてみよう。


ryutaro.jpg


 写真としての面白みというか、味わいは全然なくなってしまう。おそらく、「平成」を発表したのが橋本龍太郎だったら、衝撃と印象深さはかなり薄まったろうと思う。


 昭和天皇が亡くなり、大喪の礼だ、新しい天皇の即位だ、元号だ、と、静かな慌ただしさ(変な表現だが)のある、緊張したムードの中に、ぬぼー、と顔を出した、小渕恵三内閣官房長官
 その、ぬぼー感が、「平成」という何だかちょっと困ったような二文字と相まって、不思議な衝撃を生み出したようにも思う。


 それにしても、


keizo.jpg


 である。


 完璧だ。


 しかし、なぜ完璧と感じるのか、やはり、私にはよくわからないのである。


※写真素材は、全て、首相官邸ホームページより。


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