議論

 インターネット上では毎日、そこここで大量の議論がなされているのだろうが、複数人による場合、きちんと結論が出るパーセンテージって、どのくらいなのだろうか。
 恐ろしく低い数字なんじゃないか、と思う。


 理由はいくつかある。


 そもそも、きちんとした結論を出そうという気持ちが、あんまりない場合も多いだろう。
 議論をふっかけてみたり、議論すること自体が面白かったりして、その場合、結論は二の次、三の次、四の次……nの次(nは正の整数)になる。
 なお、この場合、数学的にはn+1(nは正の整数)と表記するのだと、先日、区役所で教わってまいりました。


 友人が言っていたのだが、しばしばインターネット上の議論では「ボールを受け取ると、全員が勝手な方向へ走り始める」。


 なるほど。そういう状態もよく見られる。自分が言いたいことがまず先に立つのだ。
 しかも、各人、性格も世代も考え方も体験も職業もトラウマも好みも家庭環境も体調も興味も趣味も血液型も星座も手相も人相も動物占いの結果も山手線占いの結果も前世も小学校時代の担任の先生もバラバラだから、わーっと蜘蛛の子が散りまくるのだ。
 これも、そもそも結論を出そうという意志と必要が、あんまりないせいかもしれない。


 私が理由として大きいと思うポイントは、「勝負」と「意地」である。


 議論が始まって、相手に反対意見を言ったり、言われたりするうちに、だんだんと「勝負」の色合いが濃くなっていくのだ。
 しかも、インターネット上で反対意見を言われると、しばしば、人は凶暴化する。お互い、相手のことをよく知らない場合が多いし、生で顔を合わせるような遠慮がない分、キツい言い方になる。
 そうすると、反論されたほうが攻撃されたように感じ、こちらも凶暴化する。だんだんと全員が凶暴化して、さらに触媒として冷笑的に混ぜっかえすやつも出てきて、エイリアン対プレデター対ジェイソン対フレディ対遊星からの物体Xレクター博士藤枝梅安対青ひげ対赤ひげ、とわけがわからなくなるのである。


 「勝負」となると、そりゃあ、やっぱり、負けたくない。そうすると、「意地」というものが出てくる。そうして、自分の意見に固執するようになるのだ。
 あるいは、相手を叩きのめしたいがばかりに、もともとのテーマから外れて、相手の物事に対するスタンスや「意見を述べる資格」なんてものを問題にし始めることも多い。


 こうなるともう泥仕合で、嫌気のさした者から抜けていき、なんだか曖昧なままに議論は終わる。


 では、直接顔を合わせてする議論がどうかというと、インターネット上の議論よりは結論が出る確率は高いだろう。


 ただし、その結論が正しいかどうかは別の話だ。
 「声の大きいやつの意見が通る」なんてこともあるだろうし、組織ならば、ポジションも大きなファクターになるだろう。
 あるいは、うまく言えないのだが、人間の「威」というか、意見の内容とは関係のない押し出しの強さ、みたいなものが、生身の議論では作用する。


 まあ、テーマにもよるけれど、リクツなんていうものは、ある程度、どうにでもつけられるところがある。
 議論は必ずしも結論を出すためにあるとは限らず、議論の過程でふと気づくこととか、流れに乗ったり抗ったりすることのほうが面白かったりして、えー、今日も結論は特にありません。


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