恥ずかしく思うこと

 「ビゴーが見た日本人」(清水 勲著、講談社学術文庫ISBN:4061594990)は、なかなか面白い本だ。


 ビゴーはフランス人の画家・漫画家で、明治15年から明治32年まで日本に滞在した。
 侍(日本人)と中国人が両岸で釣りをしていて、それを橋の上からロシア人が見ている一コマ漫画「漁夫の利」が、かつて歴史の教科書に載っていた。見れば、「ああ、この絵ね」と思い出す人も多いと思う。


 しかし、「ビゴーが見た日本人」を読むと、彼の真骨頂は日本人の風俗を描いたところにあるようだ。
 当時の日本人画家や写真家が、自分達にとってはあまりに日常的過ぎて残さなかった光景を、外国人ならではの驚きの目で描いている。いささか毒を効かせながら。


 「へええ」と思うような絵が多々ある。
 たとえば、当時の風呂屋の絵を見ると、混浴で、女性は素っ裸で平気で男の前を通っている。手ぬぐいで前を隠しさえしない。
 男達はいい女が入ってくると、ニヤニヤして、眺めている。


 私は明治に生まれたかったと思います。


 いやいや、そう甘い話でもないか。
 風呂屋が混浴で、男が女を品評していたなら、逆に女も男を品評していただろう。トタン並みに胸板の薄い私では、よい点をいただけそうにない。申し訳ない。


 あるいは、芝居見物をしながら、赤ん坊に乳をふくませている女性の絵もある。
 今でも、レアケースだけれども、公の場でそうする女性はいる。ただ、たいていは影のほうで胸元を隠しながら、だ。
 ビゴーの絵の女性は、堂々と乳房をさらけ出して平気でいる。まわりも、特に違和感は感じなかったのだろう。


 こういう絵を見ると、恥ずかしさというのは時代によって、随分、変わるものだなあ、と思う。もちろん、個人差もあるだろうけど。


 よく「最近の若い者は」調の話で、電車の中で化粧する若い女性が非難されることがある。「恥ずかしくないのかしら」などと、かつて若かりし日々を過ごされた方々はおっしゃる。


 私自身は、あまり抵抗がない。
 いや、私が電車の中で化粧するという話ではないよ。それは恥というより、迷惑、悲惨、怪奇現象というべきものだろう。
 誰もそんなことは想像しなかったろうが、一応、断っておく。


 そうではなくて、電車の中で化粧する女性を見ても、特にそれが恥ずかしいこととは、感じない。
 むしろ、その化け方を、興味を持って眺める。
 こう、口をとんがらせたり、すぼめたり、あっち向いたりこっち向いたり、意外な部分を伸び縮みさせたりと、百面相を見ることができる。あれはすこぶる面白いものだ。


 私が子供の頃は、夏になるとオバハンがシュミーズ一枚で平気で外に出ていたものだ。今でも、地方によってはいるかもしれない。
 ああいう格好は、現在の若い女性にとっては恥ずかしいものだろう。少なくとも、自分でそうする気にはなれないはずだ。


 だから、恥ずかしく思う行為は、だんだん変わってくる。今の若い女性には今の若い女性なりの恥ずかしいことがあり、上の世代とズレている。
 それだけのことなんじゃないか。


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