新曲

 著作権というものがあって、パソコンを使った複製の問題もからみ、しばしば話題になる。


 いろんな分野に著作権は設定されているので、一概に論ずることはできないと思う。
 ここでは、音楽、特に3分程度のポップス的な楽曲に限って、書きたい。
 あくまで、私が理想と思う音楽の状況について記す。こうでなければならない、という話ではない。


 私は、音楽では演奏がとにかくエラい、と考えている。その次が編曲。作詞・作曲は一番下座だ。
 エラい順に言うと、演奏>編曲>作詞・作曲、である。


 内山田洋とクールファイブの「そして神戸」でいえば、クールファイブ(歌唱)>森岡賢一郎先生(編曲)>浜圭介先生(作曲)・千家和也先生(作詞)、である。


 ところが、今の世の中では、作詞・作曲がなぜだか知らないが、随分、エラいところに置かれている。
 このことが音楽、特にCDやネット配信される曲をツマラなくしていると思う。


 調べたわけではないけれど、ポップス方面では、9割以上のCDが新曲中心なのではないか。
 他人の曲を演奏することを「カバー」という。例外というほどではないけれど、数は比較的少ない。


 これ、音楽の長い歴史の中では、異例の状況だと思う。


 著作権は、作詞・作曲者の権利の保護とともに、それで一儲けできるというので、創作欲を刺激する道具でもある。
 このことが、音楽をツマラなくしているんじゃないか、と思うのだ。


 世の中には曲が腐るほどあって、というか、ほとんどが腐った曲で、しかし、中にはいい曲もある。
 そういうものが「ああ、いいね」と一時期に消費されて、忘れられていくのはもったいないように思うのだ。


 確かにいい曲を書いたやつはエラい。しかし、曲なんて、才能のあるやつならあっという間に創れる。それに、金が入ろうが入るまいが、曲を創りたくなったやつは、創るものだ。
 私も、昨日、500曲ほど創って、なかなか楽しかった。


 あ、交響曲とか、そういうのは別ですよ。それは物理的に時間がかかります。


 私の理想の音楽的状況を書くと、作詞・作曲についての著作権なんてものはない。各人、やりたいやつがやりたい曲をやりたいように演奏する。
 もちろん、新曲を書くやつがいてもいい。もし、そうしたくなったのなら。
 しかし、新曲を書いたからお金が入る、というわけではない。あくまで、演奏に対してお金が入る。


 どの曲でも、勝手に演奏できる。その方が音楽は楽しいと思うのだ。当たり前の話だが、音楽を人がいいと思うのは、あくまで演奏に対してであって、譜面に対してではない。


 音楽業界の構造だの、パイだの、なんて話は知らない。
 とにかく新曲、新曲、新曲、という状況は音楽の体験を浅くしていると思う。
 音楽は科学技術じゃないんだから、別に進歩なんていらない。


 こう書いてくると、問題は著作権だけじゃない気がしてきたな。音楽というものに対する捉え方というか、「新しい」を素晴らしいとする風潮というか。


 ところで、私がフフフン♪と歌った鼻歌にも、著作権って発生するのだろうか?


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