愚問の代表とされるものに、「一言で言うと、○○さんにとって、○○とは何ですか?」というものがある。
深く関わっていればいるほど、答えにくい。
たとえば、「あなたにとって、家族とは何ですか」、「あなたにとって、人生とは何ですか」と聞かれても困るだろう。
テキトーに答えることはできるだろうが、答えた後でしっくり来ない感じが残るはずだ。もし、あなたが真摯な人ならば。
まあ、その人のテキトー具合とか、流し具合とか、どのくらい相手に合わせる人間なのかとか、機嫌を知るには、使えないこともない。
かつて、テレビで志ん朝にこんな質問をした人がいるそうだ。「落語の魅力とは?」。
怖いもの知らずというか、物を考えていないというか。ゴッホに「絵の魅力とは?」と訊くようなものである。絵はそこにあるのに。
愚問であると知りながら、志ん朝の反応を見るためにわざと訊ねたのだとしたら、相当肝の据わった人間だ。が、まあ、たぶん、単に質問するセンスのない人だったんだろう。
志ん朝の答がいい。平然とこう言い放ったそうだ。
「狸や狐が出てくるところです」
人を食っているというか、愚者をバッサリ、である。もっとも、その愚者が、斬られたことに気づいたかどうかはわからないが。
志ん朝の落語は華やかで陽気で、客をいい心持ちにさせるが、「狸や狐が出てくるところです」という答え方には、毒、小馬鹿にするような人の悪さが潜んでいる。
でも、そういうところがないと、噺に奥行きができないのかもな、とも思う。シンプルにいい人には、人の表は語れても、裏表は語れないだろうから。
こぶ平は志ん朝をとても尊敬していて、目指しているのだそうだけど、このエピソードを知ったら、どうするだろう。
狸や狐の出てくる話を稽古し始めそうだな。真面目な人らしいから。