人体

 人の体というのはよくできているなあ、と、しばしば感心する。


 私は蒲柳のたちで、体に不具合がよく起きる。隅の方でどうにかそーっと息をしている程度の生き物だ。
 それでも、不具合が起きるということは、逆に具合のいい人体も世の中にはあるということで、いわば「理念としての人体」はよくできていると思うのである。


 小難しい書き方をした。ケムに巻きたかったのである。


 私が「よくできているなあ」と感心するのは、たとえば、こんな点だ。


 お腹が痛くなることがある。
 苦しいのだけれども、一方で、それは毒素を食べたとか、お腹を冷やして内臓がうまく働かなくなりそうだとか、そういう情報を「信号」として知らせてくれているのでもある。
 あるいは、もっと単純に「さっさとトイレに行きなさい」と教えている、と捉えてもよい。


 一方で、お腹の中が痒くなることはない。


 お腹が痛くなるということは、知覚神経がお腹の中にもあるということだけれども、痒みは発さないようになっている。


 これ、とてもよくできていると思う。
 だって、お腹が痛くなったらトイレに行けばよいが、お腹の中が痒くなっても手で掻くわけにいかない。想像するだけでも、苦しそうじゃないか。
 そんなふうに人体がなっていないことは、とても幸せなことだと思うのである。


 進化論にもいろいろあるようだが、おそらく最も有力な考え方は、個体ができるときに突然変異が起こるというものだろう。
 突然変異による新しい機能が、生き延びるのにプラスなら、その個体が生き延びる確率は上がる。そうすると、新しい機能も高い確率で次世代に伝わる。
 生き延びるという点でゼロか、ややマイナスくらいの機能なら、次世代に伝わる場合も、まあ、ある。ひどく不都合な機能なら、その個体が生き延びる確率(次世代にその機能が伝わる確率)は減る。


 もしそうなら、お腹の中が痒くなるような構造の人間が突然変異で生まれても、おかしくない。
 死ぬほどの問題ではないから、次世代に伝わることだって、あるはずだ。


 ところが、そんな人のことを聞いたことがない。これはどういうことなのだろう。進化論の学者なら、この問題をどう考えるのか。


 まあ、お腹の中が痒くならないに越したことはない。


 逆にお腹の中を痒くする薬があったら、拷問にうってつけだろう。


 「うおおおお、腸の中が痒いよおおお」と、のたうちまわるのだが、どうしようもない。これは、非常に苦しそうだ。
 私なら、国家機密だろうが、犯行だろうが、すぐに白状する。場合によっては、先日地鎮祭を行った、世界征服用の秘密基地の場所すら、教えてしまうかもしれない。


 研究者の皆さん、これを読んでインスピレーションを得て、そんな薬を発明なんかしないでくださいね。そりゃ、えらい迷惑ですから。


▲一番上の日記へ