拷問

 今、歯医者に通っているのだが、あの歯医者の椅子に座っている間は、日常生活の中でもかなり特殊な時間のように思う。まな板の上の鯉、という言葉を思い浮かべる。



まな板の上の恋


 すみません。


 椅子に仰向けとなり、歯医者が何やらコリコリやっている間は何もできない。仕方がないので、ぽやぽやと想念をそこらへんに飛び回らせることとなる。


 昨日は、鯉と化しながら、拷問方面へと想念が飛んでいった。自分の置かれている状況からの連想だろうか。


 わたしは特に拷問に詳しいわけではないが、何となく見聞きする手法は、肉体的/精神的痛みに偏っている気がする。


 ああいう手法を考え出すことは人間の暗黒のヨロコビと深く結びついているだろうから、古今東西、ありとあらゆる手法が試されていそうだが、例えば、痒みを使う、なんていう手法もあるのだろうか。


 わたしはアトピー体質のうえに乾燥肌で(この2つは重なることが多い)、痒みとは長い付き合いである。何が引き金なのかわからないが、時として猛烈な痒みに襲われる。
 例えば、歯医者の椅子の上にいるときなんかは、ボリボリ掻くわけにもいかず、往生する。


 何か痒みを引き起こす薬を飲ませて、手を縛っておく、というだけで、やられる側は、うー、カイカイカイカイ、と相当、キツいと思うのだが、どうだろう。
 孫の手を持って、「ホレホレ、白状すれば、掻いてあげるよ」。わたしなら、特殊部隊の現在位置でも、暗号のコードでも、ゴルゴ13への連絡方法でも、何でも白状してしまいそうだ。


 あるいは、くすぐる、というのはどうなのか。


 映画で、足の裏を羽根でくすぐる、というのはあった気がするな。


 そうではなくて、後ろから思いっ切り腹をコチョコチョコチョ。
 相当効果はあると思うのだが、見聞きした覚えがない。


「メンバーの名前を言え」
「誰が言うか」
「これでもか。エイッ、コチョコチョコチョ」
「だはっ。アハハハハ。ヤメレ、ヤメレ。アハハハハ」
「言わないか。コチョコチョコチョ」
「アハハ。誰が。アハハハハ。言う、アハハハ、ものか――だはっ、ヤメレ、イヒヒヒヒヒヒヒ」


 やはり、緊張感に欠ける、というところが問題なのかもしれない。


 ともあれ、拷問のない人生を歩みたいものである。