読んで、「ははあ、そういうことであったのか」といろいろ納得いったところがあったので、ご紹介。たぶん、何回かに分けることになると思う。
- 作者: 川本皓嗣
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/11/29
- メディア: 単行本
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和歌、俳句についての論集なのだが、最初に言い訳をしておくと、わたしは和歌にも俳句にもうとい。
百人一首をそらんじることすらできないし、ごく稀にこのページに俳句だか川柳だかわからないものを書くことがあるけれども、その場の勢いに過ぎない。
だから、和歌、俳句に詳しい人にとってはごく常識的なことや、勘違いを書き連ねるかもしれないけれども、まあ、失笑するなり、諦めるなり、各人、好きにしていただきたい。
「日本詩歌の伝統」は、「秋の夕暮」、「俳句の詩学」、「七と五の韻律論」の三部構成になっている。
最初の「秋の夕暮」は和歌が扱う主題(歌題)についての論考なのだが、いきなり去来(松尾芭蕉の弟子)のこんなエピソードが紹介されていて、驚いた。
『去来抄』の「同門評」に出てくる挿話である。風国(ふうこく)が、「頃日(このごろ)、山寺に晩鐘をきくに、曾て(かつて)さびしからず」というわけで、「晩鐘のさびしからぬ」むねの句を作った。これに対して去来が言うには、「是(これ)、殺風景なり。山寺といひ、秋夕(あきのゆうべ)と云ひ、晩鐘と云ひ、さびしき事の頂上なり。しかるを、一端(いったん)遊興騒動の内に聞きて、さびしからずと云ふは、一己(いっこ)の私(わたくし)なり」。
くだいて書くと、風国さんが秋の夕暮れ時に、酒を飲むか何かして、寺の鐘を聞き、「晩鐘ったって、さびしかないね」というような句を作った。それに去来先生が「たわむれながら鐘の音を聞いて自分勝手なことを言うんじゃないヨ。山寺、秋の夕、晩鐘はさびしいという句にしなければならんのだ。このバカタレが」とまあ、バカタレとまで言ったかどうかは知らないけれども、怒った、という話だ。
「遊興騒動の内に聞きて、さびしからずと云ふは、一己(いっこ)の私(わたくし)なり」とはまた、随分キツい非難の口調だ。「一己の私」が表現することが当たり前になっている現代からすると、奇妙にすら思える。
しかし、昔――平安の頃から少なくとも江戸は元禄の頃までは、特定の歌題(梅とか紅葉とか鹿の音とか)には特定の感じ方がセットになって付いていた。その感じ方を「本意・本情」という。
「本意・本情」から外れたことを詩歌にすると、「それは私情に過ぎない」と風国のように怒られたわけである。
歌題と「本意・本情」の結びつき方を、「秋の夕暮」を例にして説き明かそう、というのが川本先生の「秋の夕暮」のねらいである。
勅撰和歌集の中で「秋の夕暮」が独立した歌題として認められたのは、割に後のことで、鎌倉初めの「新古今和歌集」の頃だという。
もちろん、それまでにも「秋の夕暮」が和歌に詠まれることは多々あったけれども、歌題ではないから、どんな情趣で詠むかは比較的自由だったようだ。
ところが、「秋の夕暮」が歌題として認識されるようになると、「秋の夕暮」は“さびしい”と詠まねばならぬ、と約束事ができていく。
それも、たださびしいというのではない。川本先生は「秋の夕暮」のさびしさの典型的な例として、「三夕」の歌を挙げる(「三夕」と名前がつくほど、有名な三つの歌らしいです)。
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮 西行
さびしさは其の(その)色としもなかりけり真木(まき。常緑樹のこと)立つ山の秋の夕暮 寂蓮
川本先生は、そのさびしさをこう記している。
秋の夕暮は「三夕」で、一種の虚無的な味わいと、無限の空間の拡がりをそなえるに至った。何度も繰り返すように、「秋夕」がそれまでに得た悲哀寂寥の情趣がそれで消えたわけではまったくないが、従来の優美でしおらしい秋の夕暮とは異質な、いわば天地自然を蔽い(おおい)つくすような観念性、あるいは形而上的な感覚が、そこに付け加わったのである。
凄いね。秋の夕暮がそんなにもの凄いものを蔵していたとは気づかなかった。我々も、「秋だー、カラスだー、夕日が赤いー」などと油断していてはいけない。
でまあ、「秋の夕暮=虚無的で無限の世界にぽつねんとあるような寂しさ」という図式がいったんできあがると、歌人達は「秋の夕暮」を詠むとき、いっせいに「虚無的で無限の世界にぽつねんとあるような寂しさ」を詠み始めるわけである。
たわむれにでも「秋の夕暮、鐘がゴンと鳴りゃ、ああ楽し」などと言い出すと、怒られるか、馬鹿にされるか、無視されたのだろう。
長くなった。もうしばし、ご辛抱を。
ここから先は川本先生の意見ではなく、あくまでわたしの感想なのだけれども、まず当時の歌作りというのは、現代でしばしば好意的に受け止められる「自己表現」などではなかったようだ。少なくとも、「おれ!」「わ・た・し!」と言い立てることは、下品だったのだろうと思う。
素晴らしい歌を作った、と褒め称えられる栄誉はあったろう。しかし、個性的であることは重視されなかった。独創性も重視されなかった。
オリジナリティという評価軸はなかったか、あってもさして重きを置かれなかったんじゃないか。
もうひとつ、「秋の夕暮=さびしい」という、決まりきった物の感じ方、文切り型の作り方、というのは、現代に住むわたしからすると、一見、奇妙に思える。
しかし、ある言葉を聞くと自動的に何かを連想するとか、こう語らなければならない、ということは現代でもいくらでもある。
例えば、血液製剤によるC型肝炎の患者と聞けば、「気の毒だ」(実際、気の毒なのだが)「政府は全員何とかしろ」となる。シロクマ、シャチと聞けば、「地球」を連想する。マラソンで、倒れながらも、必死にゴールにたどり着こうとするランナーを見ると、「成績はどうあれ、ゴールを目指す姿が美しい」「意志の力が素晴らしい」と語るべき空気になる(少なくともテレビ番組では)。
それぞれの人の内側で、何かの約束事が働くからだろう。
まあ、今書いたような事例は、世間ではしばらくすれば忘れ去られるような類のことなのだが、言葉を聞いて、自動的にある感覚が呼び出されるということはいくらもある。
「卒業」と聞けば、別れや何かの終わり、新しい始まりを思わせる。「あー、これで親父と通知票の話をしなくて済む。国語はまだしも、数学の評価が低いとうるさいんだよねー」などと言い出すと、「それは一己の私なり」なのである。
平安〜中世の歌人達がやってきたことというのは、歌題と、それとセットになった物の感じ方について、どんどん歌のバリエーションを増やしていき、感じ方を強化し、複雑微妙にしていくことだったのだろう。
例えるなら、「秋の夕暮」という宝物庫に、“さびしさ”を詠んだ歌を次々に収めていく。
そして、その宝物庫「秋の夕暮」を覗くと(つまり、「秋の夕暮」という言葉を聞くと)、人々は天地自然のなかにぽつねんといる“さびしさ”をそぞろ覚えるのである。
その宝物庫は、実は今も残っている。
だから、我々も「秋の夕暮」に出会うと、しばしば自動的に“さびしさ”を覚える。先人達のおかげである。
♪ちいさい秋、見〜つけた〜。
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「今日の嘘八百」
嘘六百四十六 今日の長ーい文章を読み切り、ここまでたどり着いたあなたの意志の力も素晴らしい。