安倍首相になってみる

 わたしは安倍首相の支持者でも何でもないが、辞めるに至った経緯と、その後の、多分に侮蔑を含んだバッシングに晒されている状況には、結構、同情している。


「一国の総理として政治空白を作った責任は重い」とか、「辞めるならもっと早くに辞めるべきだった」というのは、突き放して見れば、その通りだと思う。
「胆力が足りなかった」というのも、たぶん、そうなのだろう。


 しかし、人間の成り立ちまで侮る非難になると、度が過ぎる、言い過ぎだろうと思う。


 その手の非難をする人には、体育教師的傲慢さを感じることもある。「こんなこともできないのは、たるんでいるからだ」で済ましてしまうような傲慢さだ。


 あるいは、非難する人の心持ちには、いくらかイジメの喜びのようなものや、もやもやを発散したいという、ごく個人的な動機も含まれているかもしれない。


 あくまでワイドショーやニュースショーのコメンテーター並みの憶測に基づくのだが、安倍首相の辞意表明に至るまでの心境を味わってみる方法がある。


 たいていの人には、なかなか中座しづらい場というのがある。
 重要な会議や何かの発表、入試、就職の面接、人生を賭して安倍首相の心境を味わいたいなら新郎新婦として臨む結婚式、なんていうのもいいかもしれない。あるいは、立川談志の独演会というのもある。


 で、それらの前に大量の下剤を飲む。


 これはツラい。


 最近どうも尾籠な話題が多くて申し訳ないのだが、ご承知の通り、便意には寄せては返す波がある。


 中座しづらい場にも、席を外せそうなタイミングがないではない。
 そのときに便意が弱まっていると、得てして「何とか我慢できるかもしれない」と頑張ってしまう。


 ところが、その貴重なタイミングが去った直後に限って、強烈な波が来るのだ。親も知らず、子も知らず。日本海を見て育ったわたしには、よくわかる。


“こ、これはもはや、ど、どもならん”とまで追いつめられたら、人は、恥も外聞も後々のこともなく、「あの」と声をかけるだろう。


 参院選で大敗し、国会で所信表明演説までやって数日後に辞意を表明した安倍首相は、つまりはそういうことだったのではないか。


 人にはそれぞれ、いかんともしがたい部分があると思うのだが。

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「今日の嘘八百」


嘘五百四十二 本当は、何となく面倒くさくなったから、だそうだけど。