水死体のことを土左衛門ともいう。もっとも、今では時代劇か落語くらいでしか聞かない言葉だけれども。
広辞苑によれば、由来はこうだそうだ。
どざえもん【土左衛門】(享保<一七一六 一七三六>頃の江戸の力士、成瀬川土左衛門の身体が肥大であったので、世人が溺死人の膨れあがった死体を土左衛門のようだと戯れたのに起るという)溺死者の遺体。
現代でいうなら、溺死者を「水戸泉」と呼ぶようなものだろうか。
「おう。芝の浜ィ、水戸泉が上がったってよ」
「へええ」
「なんでも、水ゥ吸って、ポンポンに膨れあがってんだそうだ。もう、見たらびっくりするとよ」
「そいつァ、いいや。その水戸泉、ひとつ、見にいこうじゃねえか」
なんてんで、物見高い無責任な連中がぞろぞろ芝の浜に集まってくる。
水戸泉は、今の若い人にはわからないかもしれない。5、6年前に引退した身長194cm、体重192kgの巨漢力士だ。
巨体を活かした強引な攻めが特長だったが、負けるときは「あや?」と簡単にコロリと転がった。高々と撒く塩のパフォーマンスでも有名。ユーモアがあって、私は好きだった。
下のほうに写真があるけど、“The お相撲さん”という感じだ。力士じゃなくて、お相撲さん。やっぱり、水戸泉はいい。
こういう死体が浜にあがったら、そりゃ、やっぱり人も集まるだろう。
頬から太い首、胸にかけて、水を吸って膨れあがったように見える。時代が時代なら、「おう。芝の浜ィ、玉乃島が上がったってよ」と言われたかもしれない。
以下、ちょっと気色悪い話になりそうなので、その手の話が苦手な方はご遠慮ください。あと、万が一ということもあるので、妊婦の方も。
私は水死体を見たことがないけれども、実際には水で膨れあがり、色は悪く、海草だのゴミだのが絡まって、見るに耐えないものだそうだ。
川への身投げは、心中のメジャーな手段である。
許されぬ恋の末に思い切って身投げする、なんていう話はドラマ仕立てなら、きれいかもしれない。
しかし、流れ、流れて、浜に上がってきてしまうと、悲惨らしい。男もそうだが、特に妙齢の美しい女性が土左衛門になり、ポンポンに膨れて崩れ、乱れた濡れ髪から顔にかけてワカメが絡みついてる、なんていうのは興ざめである。
石は多めに、落とさないようにしっかりと入れておくべし。
後ですね、溺死っていうのは苦しいもんですよ、ムチャクチャに。私はガキの頃に溺れたことがあるので、よくわかる。死んだほうがマシだと思うくらいだった。
いや、ホント、気管支に水がガボガボ入ってくるのは、言葉で表せないくらい、苦しいです。
まあ、どんな死体だって、美しいまま、ということはない。ロマンチックに、ビューチフルに死のう、なんていうのは、無理だ。何しろ、我々は細菌が支配する世界に生きているんだから。せいぜい、手際よく片づけてもらえることを願うしかない。
命あればこそ、美しい(ケースもある)。生きててこそ、浮かぶ瀬もあれ。
土左衛門も浮かぶけど。