電気自動車

 電気自動車を運転したことはないが、随分、静かなものなのだそうだ。


 普通のクルマはエンジン音がする。
 うるさいといえばうるさいが、歩道のない狭い道では、エンジン音が歩行者にクルマが近づいていると知らせてくれる。


 電気自動車の場合、そのままだと静かすぎて危ない。いつのまにか歩行者の後ろに来ている、なんてこともありえる。


 バックでの車庫入れなんて、もっと危ない。
 子供がしゃがんで遊んでいるのにドライバーが気づかず、子供のほうでもクルマが入ってきたことに気づかない、なんていう事故も起きかねない。


 では、どうするか。
 電気自動車を開発している慶応大学の教授(名前は忘れたが、その筋では有名な人らしい)は、指向性の強いスピーカーで曲を鳴らすことを考えているのだそうだ。


 指向性の強いスピーカーは、たぶん、前後にだけ音を発して、周囲にうるさく響かないよう配慮してのことだろう。


 専用の曲も開発するんだそうで、どんなものになるのか。
 センスのよい曲を期待したい。

電子音

 ここで言う「センスのよい」とは、メロディやハーモニーが美しいということではない。


 わたしは世の中に神経を逆なでするような電子音が多すぎると感じている。


 家の中では、電子レンジや洗濯機が「終わった、終わった。取りに来い、取りに来い」とピーピーうるさい電子音をたてる。


「うっせえな」と、まるで反抗期の中高生のような気になって、飛び蹴りをかましたくなるのだが、蹴ってもこちらが痛い目を見るだけなので、じっと我慢の反抗期なのだった(エラいぞ、オレ)。


 朝、目覚ましがピピピピ鳴るときは、殺意すら覚えるのだが、これにはまあ、別の理由もある。


 道を歩けば、信号機が誘導用のメロディを電子音で鳴らす。


 電子レンジにしろ、信号機にしろ、注意を喚起するために高い音程でわざと耳につく電子音を使っているのだろう。
 それはわかるのだが、やはり、神経に障る。


 JR東日本は、駅のベルに「♪ポパポパポパパ〜ン」などという短いフレーズを使っている。
 電子音の中では穏やかなほうで、注意は喚起するけれども、あまり刺激を強くして駆け込み乗車を誘わないよう、ギリギリの線をついているのだと思う。


 あれはなかなか思慮のある電子音だと思うが、同じJR一家上越新幹線に乗ると、「♪ド〜ミラ〜ファ〜シドラ〜ン、シ〜ドラ〜ファ〜ミ〜ン」などと音頭調のフザケた電子音の後で車掌のアナウンスが入る。


 出会い頭にいきなり舌で顔をペロリンと舐められたような不快な気になる。
 いつか通路を歩く車掌の足をひっかけてやろうと思っているのだが、まだ実行したことがない。

電気自動車の接近音

 で、電気自動車の近づいてくるときの音だが、どんなのがいいだろうか。


 最初は「どきねィ、どきねィ!」とか、「ごめんなさいよ、ハイ、ごめんなさいよ」とか、「暴れ馬だァ!」などといったサンプリング音を考えたのだが、「大江戸」的ダサ・ユーモアで、よろしくない。わたしは石原慎太郎ではないのだ。


 スピードに合わせて、鼓を打つ、というのはどうだろう。
 低速なら、「イョ〜ぉ、ポン。イョ〜ぉ、ポン」。
 スピードが上がるにつれ、「ポン、ポン、ポン、ポン、ポンポンポンポンポポポポポポポポポ……」とテンポもアップするのだ。
 そうして、赤信号のところで、「イョ〜ぉ、ポポン!」。


 電気自動車が普及したら、そこらへんで能楽を踊り狂っているような騒ぎになるだろう。
 うるさくて、しょうがない。


 いかにもありえそうなサービスが、電気自動車のドライバーが、携帯電話の着メロのように、自分の好きな曲を選べる、というものだ。


 しかし、これも考え物である。
 街を歩けば、ただでさえ、聴きたくもない曲を無理矢理聴かされる世の中だ。渋滞の横なんぞ通ったら、「自己主張」の渦巻きに巻き込まれ、うんざりするだろう。


 メロディというのは、はっきりしたもの、わかりやすいものは、何度も聞いていると飽きる。
 抽象的、という言い方も変だが、わかったような、わからないようなものが、電気自動車の接近音にはたぶん、いいのだろう。


 クルマが近づいているとわからねばならず、かといって、うるさすぎてもダメ。人が飽きるもの、不快感、うんざり感を覚えるものもダメ。
 このプロジェクト、なかなか難しいように思う。


 見事、そういう音を作った者には、おかみから金子三千両が遣わされるという話だ――かどうかは知りません。


追記:結城さんのアイデアに脱帽(id:hyuki:20060724)。それは思いつかなかった。金子三千両(気持ちだけ)。


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「今日の嘘八百」


嘘百九十五 地獄で仏に会ったが、穏やかな声で「諦めなさい」と諭された。