「安倍晋三 回顧録」で少し安倍さんを見直した

安倍晋三 回顧録」を読んだ。

 

 

 首相在任中、おれはあんまり安倍さんのことが好きではなかった。国権主義、強権主義的なところになんとなく反感を持っていて、物の考え方にあんまり深みがないように思っていた。もっとも、おれはそんなに安倍さんや政治に興味があったわけではない。

 しかし、回顧録を読んで、首相としての安倍晋三を少し見直した。

 自分で語ったことだから、盛っているところや自己弁護、自画自賛的なところもあるだろう。たとえば、例の珍策、アベノマスクの効果でマスクの需給が安定した、と強弁するところはちょっと笑ってしまった。

 しかし、全般的に自分の時々の判断、行動、結果をよく整理して語っている。スタッフも含めて、インタビューに向けてかなりの準備もしたのだろうが、長期にわたる首相在任中のふりかえりをこれだけできるのは大したものだと思った。

 安倍晋三という政治家は、リアリストであり、決断力もある。党内での権力闘争をおさえこみ、選挙、勝負に関しては冷徹だ。政敵、あるいは敵と見定めた国(特に中国)に対しては容赦ない。第一次内閣のときにいろいろと失敗し、返り咲く際に深く思うところがあったのだろう。

 政策方針についてはスタッフや助言者に恵まれたところもあるのだろうが、それもまた実力のうちである。

 一方で、いわゆる政治信条、思想の面では浅い。たとえば、日本という国の捉え方は随分と情緒的で、平板である。こんなことを言っている。

 

全世代型社会保障や金融緩和、財政出動などは、ハト派の政策だと言われますが、実は日本古来の政策、瑞穂の国の考え方です。みんなで田を耕し、お米を分かち合ってきたわけです。

 

 日本が瑞穂の国ならば、漁師町はどうなのだろうか。山で炭を焼いていた人はどうなのだろうか。シラス台地でサツマイモを育てている鹿児島の人はどうなのだろうか。米のほとんど取れない沖縄の人はどうなのだろうか。

 あるいは、百歩ゆずって、仮に日本が瑞穂の国だとしても、それを言えば、たとえば、タイだって、ベトナムだって、安倍さんが目の敵にする中国の南部だって水稲栽培の盛んな瑞穂の国である。彼らだって、みんなで田を耕し、お米を分かち合ってきたろう。

 

中国の田植え風景

 

 おそらく、安倍さんは思想信条的なことにはあまり興味がなかったのだろうし、深く考えることもなかったのだろう。冷徹、リアリストの政治家であったことは、安倍さん自身にも、日本にとっても幸いだったと思う。浅い理想や思想で物事を動かそうとするのはひどく危なっかしいことだからだ。

■ ジャーナリスティックなインタビューと情緒的な地の文のギャップ

 本文は読売新聞の記者によるインタビューである。安倍さんが答えたくなさそうなことにも、臆せずに突っ込んでいる。好感を持った。

 一方で、前書きや、各章のリード文は、安倍さんが亡くなった後で書いたせいだろうか、随分と情緒的である。本の最後に“泣かせる”弔辞を持ってくる構成もいただけない。

 安倍さんが射殺されたのは劇的な事件である。その悲劇的な死が、情緒的な文章に結びついたのだろう。

 しかし、首相在任時についての評価はそのプロセスと結果に基づいて評価されるべきであって、退任後にどのような死に方をしたかは関係ないとおれは思う。吉田茂が何で死んだかと、吉田茂の首相としての業績の評価が関係ないのと同じである。

 日本のマスコミには、妙に情緒的な、人の感情を動かそうとするきらいがあって(とはいえ、おれは他国のマスコミについて知っているわけではないが)、どうも好きになれない

 

■ おれはなぜ安倍晋三が好きではなかったか

 最初にも書いたように、おれは安倍晋三という政治家があまり好きではなかった。

 まず彼が首相になる前に出した著作「美しい国へ」を読んで、その浅さに呆れたことがあった。首相になってからもずっとその印象が残っていた。

 首相在任時の国権主義、強権主義も嫌いだったが、今回、回顧録を読んで、そうでなければ動かせなかった部分もあったのかな、と感じた。

 今あらためて振り返ってみると、おれは安倍晋三というよりネットで安倍晋三に肩入れする人々が好きではなかったのだと思う。安倍さんの尻馬に乗って怪気炎をあげ、安倍さんの政敵や他国を異常な熱量で引きずり落として溜飲を下げる、あの人々が嫌だった。

 これは安倍晋三という政治家への評価とは関係ないことである。

 

 ともあれ、「安倍晋三 回顧録」のインタビュー自体は面白い。政治というものについて学ぶところがあった。