フルメタルジャケット〜ピークとエンドの記憶

 ひさしぶりにスタンリー・キューブリック監督の「フルメタルジャケット」を見た。キューブリック作品はどれもそうだが、緊迫感と絵の美しさ、そして怖さに満ちている。

 

 

 大きく二部に分かれていて、前半はベトナム戦争に行く前に新兵が鍛えられる訓練所の話、後半はベトナムの戦地の話である。

 以下、ネタバレありである。

 何年ぶりかで見て、前半のとろい「デブ」が教官から猛烈なイビリを食らう話はよく覚えていた(あの教官の猛烈に下品で機関銃的なセリフは実に優れた詩だと思う)。そして、最後に「デブ」が笑いながら教官を射殺し、自殺するシーンはトラウマになるくらい、強烈な印象を残す。

 一方で、後半のベトナムの戦地での出来事はまるで覚えていなかった。ただ、最後に燃える建物のなかで、ベトナム側の狙撃兵の少女が瀕死の状態で「シュート・ミー」と繰り返すシーンはよく覚えていた。

 心理学にピーク・エンドの法則というのがあって、人は最も感情が動いたとき(ピーク)と、一連の出来事が終わったとき(エンド)の記憶だけで、ある経験についての全体的な印象を持ってしまうという。おれの「フルメタルジャケット」に対する記憶もほぼその通りで、前半最後の「デブ」の死がピークとして記憶されており、映画の最後の狙撃兵少女の死がエンドとして記憶されている。

 もっとも、前半の教官のシゴキも、下品な機関銃的セリフとともによく覚えているし、いっそなつかしいくらいだから、あの訓練シーンにもおれははなはだ感情が動かされているということなんだろう。