ワールドカップとオリンピック

 サッカーのワールドカップを楽しんでいる。世界中のいろいろなチーム、選手を見られるのはやっぱり楽しい。

 おれはプレミアリーグリヴァプールが好きなのだが、各国代表の試合にはクラブサッカーとはまた違った魅力があるように思う。

 各国代表の試合はクラブサッカーに比べると粗い。それはそうで、一年のうち10ヶ月くらいを一緒に過ごして戦い方を組み立てていくクラブチームと、時折二週間くらいの合宿をするだけの各国代表ではサッカーの緻密さが違う。その分、各国代表のほうが個人能力に頼るところが大きいし、守備の連携も粗くなるから、思わぬ得点が生まれたりする。ある意味、各国代表の試合の方がサッカーの原初的な魅力に近いように思う。

 同じ世界的なスポーツ大会であっても、サッカー・ワールドカップとオリンピックでは随分と違うように思う。

 サッカー・ワールドカップの目的はシンプルだ。「試合に勝つこと」。

 一方のオリンピックだって試合に勝つことが重要だが、その他にも「世界平和」だの、「オリンピック精神」だの(いったいなんなのだ、オリンピック精神って)、「聖火」だの、余計なものが付きまといすぎているように思う。辛気くさい。

 コロナの中、東京オリンピックを開催するかどうかという時期に、時の菅首相がこんなことを言った。

「(オリンピックで)世界が一つになれること、全人類の努力と英知で難局を乗り越えていけることを東京から発信したい」

 おれがオリンピックを嫌だな、と思うのはこういう大仰な建前論が出てくるところだ。

 菅さん、オリンピックで世界が一つになったこと、今までありましたか。全人類の努力と英知で難局を乗り越えたことありましたか。

 オリンピックにまつわる大仰な建前を見るたびに嫌な心持ちになる。

 サッカー・ワールドカップ世界陸上のほうがオリンピックよりはるかに素直である。