セミの一生

 自転車で羽田あたりまで行った。

 緑の多いところではセミが盛大に鳴いていた。夏ももう終わりだから、最後のひと騒ぎというところだろう。

 セミは幼虫時代、土の中で樹液を吸って暮らす。7年土の中で過ごすという話もあるが、それは外国のセミで、日本のアブラゼミは3、4年くらいらしい。

 何年もの間、幼虫として土の中で暮らし、夏のあるときに急に思い立つのか、地面に這い出し、木を登り始める。ある程度登ったところで止まり、幼虫の殻を割るようにして中から成虫として出てくる。羽化、と呼ばれる行為だ。自分の中から別の自分が出てくるというのはどんな感覚なのだろうか。人間で想像すると、なかなかに気色悪い。

 成虫になると、一週間ほど生き、その間にうまくいけば交尾し、メスは木に卵を生みつける。そうして、オスもメスも死んでしまう。夏にはよく地面の上にセミの死骸を見つける。

 何年も土の中で暮らし、交尾と産卵のためだけに成虫となって一週間ほどで死んでしまう。ある意味、劇的な人生である。セミだからセミ生か。

 このサイクルをずっと繰り返しながら、セミという種は続いてきた。

 つくづく進化というのは不思議だと思う。たまたま出来上がったある組成の物質を放っておいたら、いつのまにかさまざまな生態、形態の動植物へと広がっていって、中にはセミのようなサイクルを作り出す種も出てくる。

 よく「〇〇するために進化した」という言い方をするけれども、おそらく進化に意志は働いていない。いろいろな変異の中で環境に適したものだけが残っていく。その繰り返しで複雑な生のかたちができあがっていく。

 セミの生もまた意志ではなく、たまたまの変異の結果として、できあがった。やはり、不思議だ。