スペクタクルな法華経

 「サンスクリット原典現代語訳 法華経」を読んだ。

 

 

 

 「最高の経典」だという評価は聞いていて、どんなもんだろうと思って読んだ。

 驚いた。お釈迦様の眉間からビームは出るわ、天上から花は降るわ、ブラフマー神が光り輝く乗り物で飛んでくるわ、地面からいきなり巨大なストゥーパ(宝塔)が現れて空中に静止するわ、大地が裂けて間から無数の菩薩が登場するわ、如来たちのちょっとした仕草で三千世界が震動するわ、壮大かつスペクタクルなのである。

 聖書もたいがい荒唐無稽だと思ったが、法華経はもっと荒唐無稽である。

 年月や人数などの数字がまたどれも気が遠くなるほど巨大である(「東の方角におけるガンジス川の砂の数に等しい幾百・千・コーティ・ナユタ[億or兆or京 × 万or十万or千億]ものブッダの国土において」とか)。法華経を書いた人は何を思ってこんなに巨大にしたのか、誇大妄想だったんではないかと疑ってしまいたくなるくらいだ。

 こうした荒唐無稽で大仰な表現はおそらく読む者にショックを与えるための演出なんだろう。異化効果というのだろうか。じゃあ、何が本質として書いてあるのかというと、おれは一読しただけではよく理解できなかった。なんでこんなことをくどくど書いてあるのだろう、などと思いながら読み進めた。解説を読んで、ははあ、そういう解釈ができるのか、とちょっとわかった気になった程度であって、我ながら情けない。

 文章は植木雅俊の丁寧な訳もあって、思いのほか、読みやすい。しかし、原文の詩形のゆえか、サンスクリット独特の表現法なのか、著者の癖なのかわからないが、繰り返しがやたらと多く、くどくて、読んでいて方々でひっかかった。まあ、さほど気を入れずに文字を追うだけ、というこちらの読む態度の問題なのかもしれないが。

 抹香くさい経典かと思ったら、大違い。なかなか壮大で派手で、物語的なところも多く、一度読んでみるのもよいと思う。