若い頃の激しい恋心を50年にわたって抱き続けた男と、抱き続けられた女、その夫の3人を中心にした物語だ。面白い。
ガルシア=マルケスというと「百年の孤独」が有名だが、ああいう魔術的リアリズム、つまりありそうもないことを普通にあることとして描く感覚はない(まあ、50年も恋心を抱き続けて老人になってその成就を図る、というのもありそうもないことをだけど)。
しかし、読んでいるといかにもガルシア=マルケスらしい濃密な文章世界に取り込まれる。「百年の孤独」もそうだが、とにかく大量のエピソードが盛り込まれるのだ。一文、二文程度のエピソードが延々と続く。
今、適当に本を開いて抜書きしてみる。
充実した新しい生活を送る中で、フェルミーナ・ダーサは公的な場で何度かフロレンティーノ・アリーサを見かけたが、会社での彼の地位が上昇するにつれて会う機会も多くなった。そのうち、会っても別に身構えることもなくなり、ほかのことに気をとられて何度か挨拶するのを忘れたことさえあった。仕事の話がでたときは、C.F.C.で慎重ではあるが一歩一歩着実に階段をのぼっていく彼のことがいつも話題になるので、うわさはしょっちゅう耳にした。
たかだかこのくらいの長さの文なのだが、これだけのエピソードが盛り込まれている。
・フェルミーナ・ダーサの新しい生活は充実している
・フェルミーナ・ダーサは公的な場で何度かフロレンティーノ・アリーサを見かけた
・フロレンティーノ・アリーサは会社での地位が上昇している
・フェルミーナ・ダーサはフロレンティーノ・アリーサに会っても身構えることがなくなった
・フェルミーナ・ダーサはフロレンティーノ・アリーサに挨拶するのを忘れることがあった
・フロレンティーノ・アリーサは一歩一歩着実に出世の階段をのぼっている
・フロレンティーノ・アリーサの出世がいつも話題になっている
この調子で、500ページほどの小説の中にエピソードが大量に塗り込められている。言い換えるなら、大量のエピソードが集積して、小説が成り立っているのだ。
今、「塗り込められている」と書いたが、ガルシア=マルケスの小説は油絵に似ていると思う。油絵は絵の具を塗って乾いた後、さらにその上に絵の具を塗り重ねることができる。画家によっては何重にも絵の具を塗り重ねて、下のほうで塗った絵の具が隠れてしまうこともある。
ガルシア=マルケスも、エピソードを絵の具のようにして、小説というカンヴァスのに塗り、さらに塗り、その上にさらに塗り重ねて一枚の小説を仕上げている。
よくまあ、これだけのエピソードを次から次へと書けるものだと感心してしまう。ガルシア=マルケスはとにかくどんどんお話、それも人を惹きつける面白いお話を思いつく人なのだろう。
「お話聞かせて、ガルシアおじさん」というフレーズを思いついた。