名前の由来

 前回、前々回に続いて、子供につける名前の話。

 欧米のファーストネームは聖書に由来する名前が多い。たとえば、マイケルは大天使ミカエルの名前だし、ガブリエルもやはり大天使の名前だ。十二使徒由来なら、ピーターがペテロ、ジョンがヨハネ、ジェイコブがヤコブ、フィリップがフィリポ、トーマスがトマス、サイモンがシモン。ポールはパウロから来ている。今書いたのはもっぱら英語圏の名前だが、ヨーロッパの他の言語でもミシェル、ペーテル、ヨハン、フェリペなどと音は変形しつつも、聖書というか、キリスト教の伝承由来の名前が現代でも残っている。2000年も前のイスラエル地方の名前が今もつけられているというのはなかなか驚くべきことである。

 日本の場合、あまり宗教由来の名前はないようだ。もし仏弟子の名前をつけるなら、稲本舎利弗サーリプッタ)、稲本目連(モッガラーナ)、稲本阿難(アーナンダ)などといった名前になるだろうが、そうはなっていない。キリスト教と仏教での伝承、人物の伝わり方がだいぶ違うせいもあるかもしれない。

 我が国では、ご案内の通り、ナンバリングで名前をつけることも多かった。一番目に生まれたから一郎(あるいは太郎)、二番目だから二郎、三番目だから三郎、四番目だが三番目の子供が亡くなったから三四郎、なんていうふうにである。源平の頃(たとえば、源太郎義家)の頃から生まれた順に名前をつける仕組みがあって、まあ、味気ないといえば味気ない。もっとも、これは男の子の話であって、女の子の場合、一子(かずこ)なんていう名前はあるけれども、二番目、三番目をナンバーでつけるケースはあんまりないようだ。男が後継ということが長く続いたからか。

 子供の名前に親の願いを込める、なんていう風習はいつ頃から始まったのだろうか。昔だって、千代、鶴、亀がつく名前はあって、これは長命を願ったのだろうが、願いの種類はそれほどなかったように思う(金太郎は輝くことを願った名前だったのか、金が儲かることを願った名前だったのか)。

 ところが、明治以降、結構いろいろな種類の願いを込めることが多くなって、秀雄とか、茂子とか、優作とか、いろいろバリエーションが増えた。そうした意味的な願いと、音のよさ、あるいはある種アニメ的なイメージがくっついて、今のキラキラネームになってきたのだと思う。

 それにしても、あと60年、70年経ったとき、「姫星(きてぃ)婆さん」とか、「男(あだむ)爺さん」になると想像すると奇異に思うが、その時代にはもうそれが普通になっているのだろうか。