子供の名前

 先週に続いて、子供にどんな名前をつけるか、という話。

 

 随分と昔だが、田中角栄全盛期の頃、親がこどもに角栄という名前をつけ、その後、ロッキード事件やら何やらで田中角栄のイメージが失墜したとき、学校で子供がいじめられるというので役所に改名を願い出るという出来事が確かあった。あるいは、親が子供に「悪魔」という名前をつけ、役所が不受理にしたので親が裁判所に訴え出た、なんていう事件もあった。

 何度か書いた記憶があるが、おれの名前は「喜則」と言って、「喜んで規則を守る」子供になってほしいと親が願ってつけたんだそうだ。喜んで規則を守るやつなんているのだろうか。何かのプレイか。

 おれ自身は、親には悪いが、自分の名前があんまり気に入っていない。割と画数が多くて、書いている途中で飽きてくるし(だから、よく則の字はいい加減に書いてしまう)、「喜」という字がどこか気違いじみている。もっとも、そのものじゃないかと言われれば、返す言葉がないが。

 いっそ、「一(はじめ)」とか、そういう名前だったら、書くのも楽だったろうなー

 と思うのだが、知り合いの「二郎」という名前の人は「ナンバリングで名前をつけてほしくなかった」と言っていたから、まあ、子供それぞれいろんな感想があるものですね。

 子供からすると、自分の戸籍上の名前は自分の最も身近なものなのに、自分で決めることができない。まあ、不自由なものではあるが、考えてみれば自分の顔だって体だってなかなか自分の意志では決められないところが多いから、そもそもわしらは生まれたときから不自由なものなのだ、ということかもしれない。