庶民民衆大衆市民国民

 おれの住んでるあたりに「庶民派」と臆面もなくポスターに書いている政治家がいて、この人は馬鹿なのだろうか、見るたびに思う。

 まあ、馬鹿なのかどうかは知らないが、あまり「庶民」ということについて考えていないのは確かだろう。庶民っていったい誰なのか。

 辞書では、「世間一般の人々。特別な地位・財産などのない普通の人々。」だそうで、要するにそこらの普通の人々だ。そしてそこらの普通の人々は、職業も、年齢も、家族構成も、金銭面も、価値観もばらんばらんであって、だから「庶民派」なんて名乗るのはほとんど誰のためにも何も考えていないことをバラしているようなものだと思うのだ。

 同じようにごく雑に使われる言葉に民衆、大衆、なんていうのもある。どれもその内実はいろいろだ。簡単に言うと、「特別な立場の人以外」ということであるから、実際はいろいろなはずなのだ。

 政治思想方面に目を移すと、市民という言葉を好む一派と、国民という言葉を好む一派がいて、このふたつはあまり交わることがないようだ。しかしまあ、市民、国民という名の下に、実際はいろいろさまざま種々雑多である個々の人たちを、雑にひとくくりにまとめてしまう点では同じであって、実はあんまり内実を考えてないのではないか、などとおれは疑惑のマナザシで見ているのである。