やっかみとやつあたり

 おれは人の色恋というものにとんと興味がなく、有名人の不倫沙汰なんかの騒ぎを見ると、人の色恋によくまあそんなに反応できるものだ、と不思議の念を覚える。

 ある人が「あれは本当は自分が不倫したいからなんですよ」と言っていて、なるほどなあ(おそらく本当のところは本人も気づいていないだろう)、そういう裏の気持ちもあるのかもなあ、などと思った。一応の道義、みたいなものは攻撃する側にあるから、嵩にかかって攻め上げるのだろう。みっともない。

 まあ、不倫に対してに限らず、やっかみあるいは妬みという感情は困ったもので、うまく行っている人のことを見ると、つい攻撃したり引きずりおろしたりしたくなる気持ちが人間にはある。かく言うおれも、カップルが駅でチューなんぞをしているのを見ると、「その唾液でコロナでも感染りやがれ、バカタレが」などとひとりごちたりする。よくない心である。

 話をいきなり大きく広げると、自由競争社会というのだろうか、自分の身の振り方を自分でかなり決められる社会では、やっかみ、妬みは避けられないものだと思う。あいつはうまいことやっている、自分はそうなっていない、競争に負けているということが、理も非もなく悔しく感じられて、引きずり下ろしたくなるのだと思う。みっともないことである。

 インターネット上によくある負の感情丸出しに、やつあたりというのもある。映画や本の評価でも、何かのニュースに対するコメントでも、あるいは誰かの行動や発言に対してでも、よくまあここまで嫌悪感丸出しにできるものだ、とかえって感心してしまうくらいの非難をよく見かける。ああいうのは、おそらく別のことでのストレスやら不満やら被害者意識やらが潜在意識の中でふくれあがっていて、全然関係のない何かに対して爆発してしまうんだろう。非難する側の目的は、実は非難することによる一時的な気持ちの発散なんだろうと想像する。

 人の心の仕方ないところとはいえ、やっぱりみっともないわな、とおれは思う。