思想の疑惑

 思想というものに出くわすとつい疑惑のマナザシで見てしまうクセがおれにはある。まるっきり否定するということでもなくて、「ホントかな?」と少し距離を置いて見ている感じである。

 思想、あるいはもっと広く人の考えというのは、ある一面は言い当てることがあっても、別の面には当てはまらなかったり、考慮していなかったりする。ある部分を切り取ったり、単純化して話を通りやすくするのが思想のミソであるから、まあ、ものすごく多くの要素が複雑にこんがらがった人の世を上手に分解するのは難しかろうと思う。

 おれが中学、高校の頃にはまだマルクス主義が幅をきかせていて、真面目に信奉している人も多かった。大学では近代経済学と並んでマルクス経済学も教えられていた。ソ連邦や東欧の社会主義諸国との行き来があまり多くなく、今の北朝鮮のように部分的な情報がデフォルメして伝えられていた。

 1980年代終わりから1990年代初頭にソ連邦と東欧の社会主義諸国が倒れ、中で起きていたことがだんだん明るみに出るにつれて、マルクス主義の旗色は悪くなっていった。共産党赤旗は白旗に変わった。

 共産主義社会主義を説いたかつての人々・・・マルクスにせよ、レーニンにせよ、随分と頭がよく、論理も筋が通り、またかなりいろいろな物を見ていた人たちだろうと思う。しかし、その「理想」が形をとって、だんだんと進行していくとなんだかひどいことになってしまった。おれが思想というものをあんまり信用していないのはそのせいもあるようだ。

 ・・・とまあ、知ったようなことを書いてきたが、おれのような馬鹿が思想を語るとロクなことにならない、というのが一番の理由である。

 20世紀後半のハイエクという哲学者・経済学者が「人間は必ず間違う」ということを語っていて、おれもその通りだと思う。思想、というか、論理的に積み重なっていったものは疑惑のマナザシで見ておいて、経験主義的にちびちびと物事を変えていくのがベストとは言わないが、ベターではないかとおれは思っている。