どちらが可哀想な犬か

(注:少し残酷な画像が含まれます)

フランダースの犬」はなかなか有名な物語で、特に今の五十代の人はテレビでやっていたアニメの印象が強いだろう。

 フランダースというのはベルギー北部のフランドル地方のことだそうで、なかなか大雑把なタイトルである。日本に置き換えると「中部地方の犬」とか「東北地方の犬」とか、そんなイメージだろうか。

 最後は大聖堂で主人公ネロの念願だったルーベンスの絵を見ながら、ネロとパトラッシュ(犬)は死んでいく。こうやって文字で書いていても、おれは涙が止まらない。嘘である。

 可哀想な話であり、不幸な話である。それでふと思ったのだが、フランダースの犬パブロフの犬はどっちが可哀想であろうか。

 パブロフの犬はご案内の通り、条件反射の例として有名な犬だ。ロシアのパブロフという学者の研究である。犬にベルを鳴らしては餌を与えることを繰り返すと、そのうち、ベルを鳴らすだけで犬が唾液を流すようになったという。

 ベルを聞くだけ。餌をもらえない。可哀想である。

 もっとも、パブロフの犬もずっと餌をもらえないわけではななくて、生きられるよう、折々に餌はもらっていたろう。それに比べてフランダースの犬は死んでしまうのだ。

 しかし、こういう考え方もできる。パトラッシュはネロとの愛情に包まれながら死んでいった。不幸の中にも幸福が少しはありそうである。一方、パブロフの犬には主人との愛はなさそうである。

 この写真を見ると、やっぱり、パブロフの犬のほうが可哀想ではないか、と思う。

パブロフの犬

 頬に唾液を採取するための穴が空けられている。しかも、後世、条件反射で行動する人間を「あいつはパブロフの犬みたいなやつだ」と小馬鹿にするのに使われたりする。

 可哀想というより、残酷、無情というべきか。