陰謀論

 陰謀論というのは根強い人気のあるジャンルで、平常時には歴史上の陰謀論が唱えられ、非常時になると現代の陰謀論が唱えられる。

 陰謀というものは間違いなく存在するとおれは思う。米騒動と造船疑獄とオイルショックパナマ文書事件に関わったおれが言うのだから間違いない。

 しかし、陰謀論というのは一般的に陰謀というものが世の中にあるという話ではない。“もっぱら”陰謀によって世の中を動かすような大事件が起きると考えるものであって、甚だ怪しい。

 陰謀論を好む人は、世の中の事件がいろんな思惑やパワーの綱引きによって起きるということを理解しないか、あるいは目をつぶっている。現代の重要な事件というのはまず間違いなく多くのプレイヤーが多くの思惑とパワーによって絡み合い、くんずほぐれつしながらに起きるのだが、陰謀論を唱える人はそういう見方をしない。いわば、複雑系を単純系に置き換えるような乱暴な仕事をしている。

 陰謀論がはびこる理由のひとつは、逆説的だが、「実証できない」ことにある。証明できないからこそ、いろいろと想像をふくらませることができるし、都合のいい状況証拠を並べて証明に近いことができたように思える。だからこそ「実はおれは知っているのだ」と己を高めた心持ちになれてある種の快さを味わえるのだろう。

 陰謀論の楽しさというのは国際スパイ小説の楽しさに似ている。歴史の裏面で、からまり合って見えた糸がほどけるような快さを味わえる。もちろん、それは事実とは別の何かである。実証されてしまっては陰謀論は面白くなくなってしまう。

 ちなみに、本能寺の変ロスチャイルド家明智光秀に資金供与して起きたのだそうだ。