痒みの誕生

 おれはアトピー性皮膚炎で、子供の頃から現在までおおよそ半世紀にわたってカイカイカイカイと掻いてきた。おれの人生は痒みとの戦いであったといっても過言ではない(過言だが)。

 痒みという感覚は実に不思議で、最近の科学でもどういう仕組みで感じるのか、今イチ解明しきれていないらしい。

 そもそも、なぜ痒みなどという感覚が生物の長い歴史の中で続いているのだろうか。

 痛みはわかる。痛みは故障の信号であり、「そこはなんとかせんといかんですばい」と、別に福岡弁になる必要はないが、まあ、まずいことになっておる、今すぐなんとかしないといけない、という信号である。舐めるなり、体を休めるなり、絆創膏を貼るなり、腕の根元を縛るなりと痛みを、感じるたびに動物なり人間なりに手当てをしてきたわけだ(A.I.が本当にヤバい進化をするのは、自己複製と自動改変と痛みの感覚を備えたときだろう)。

 一方の痒みも、虫に刺されたとか、炎症(バイ菌の侵食)が起きているという故障の信号ではあるのだが、こっちのほうは実は手当てのしようがあんまりない。掻けば掻くほど事態が悪化するというのは、皮膚炎を患ったことのある人ならよくわかるだろう。まあ、人間ならキンカン塗ってまた塗ってなりなんなりとまだ手はあるが、人間以外の動物となると、本能に駆られてカイカイカイカイと掻いて、かえって悪化をまねくばかりである。場合によっては掻いた傷口からさらにバイ菌が入り込んで死に至ることだってあるわけで、そんなカイカイ遺伝子がなぜ進化のうえで残ってきたのか、不思議である。

 犬や猫が後ろ足でカイカイカイカイと掻きまくるのは、まあ、ノミなりシラミなりを取り払う効果があるかもしれない。よくわからないのは、ノミ、シラミ、あるいは蚊がわざわざ痒みを感じさせるような物質を犬や猫の血管に注入することで、自らの生存可能性を下げている。なぜそんな遺伝子が残っているのだろうか。痒み注入機能がないほうが血を吸うだけ吸ってまんまと逃げおおせるだろうに。

 進化というのは考え始めると不思議と好奇心のかたまりであある。そういえば、掻くと快感を覚えるという機能も、不思議な遺伝だ。