ペット目線

 SNSWWF世界自然保護基金)の広告がよく出てきて、野生動物の保護を訴えているのだろう、「かわいそうは、守りたいのはじまり。」とのたまう。

www.wwf.or.jp ああ、ヤダヤダ。野生動物に対して、ペット目線ではないか。

 ペットというのは動物の中でもかなり特殊なもので、なぜか子どものように扱う人が多い。「あらあら、いけましぇんねー」とか、「もうちゅぐご飯でしゅからねー」とか、十数歳、人間なら六十歳か七十歳くらいにあたる犬に幼児言葉で語りかけたりする。

 おそらく、昔はもっと人間と飼う動物の間に身分の差というか、立場の違いというものがあったのだろう。しかし、核家族や単独世帯が増えて、家族(主に子ども)の便利な代わりとしてペットを選ぶことが増えたんだろうと思う。その結果としての「もうちゅぐご飯でしゅからねー」である。

 まあ、ペットにどう接しようと勝手ではあるけれども、その目線(子ども目線)を野生動物にまで広げるのはどうなのかと思うのだ。野生動物には野生動物の尊厳というか、人間の勝手な願望やファンタジーとは別のありようがあるのであって、それをちっぽけなペット目線で扱うのは失礼ではないか。

 そもそも、「かわいそうは、守りたいのはじまり。」なら、たとえば、野生状態においてライオンに食われるヌーとか、ワニに食われるシマウマはどう考えればいいのだろうか。ヌーやシマウマがかわいそうで守りたいといっても、守られてしまってはライオンやワニは飢えなければならない。ライオンやワニがかわいそうで守られてしまってはヌーやシマウマは食われなければならない。あるいは、たとえば仮にフジツボが絶滅しそうになったら、かわいそう、守りたいとなるだろうか。ゴキブリ、ムカデ、アナコンダだとどうか。動物保護におけるかわいそう路線は何かこう、あっというまに行き止まりにつきあたってしまうと思う。

 野生動物保護に反対しているわけではない。ペット目線は野生動物に対して失礼だし、ペット目線に基づく保護は視野がごく狭いうえ、動物格差社会に至るように思うのよね。