物の名前

 昨日、あいちトリエンナーレで見たビデオ作品に、翻訳について、同じ食材を使って同じような料理法でつくっても炒飯と呼ばれたりナシゴレンと呼ばれたり、というような一節があって、妙に印象に残った。

 よくよく考えれば、何かに名前をつけるという行為には、なかなかに深いものがある。一番の役割は、他と区別するため、ということであろう。「アレがアレをアレしたら、アレがアレした」では話が通じにくく、そこで炒飯と呼んだり、ナシゴレンと呼んだりするわけである。そんなこんなで、炒飯がナシゴレンをピラフしたら、米がライスした、となるわけだ。ならないか。

 名前には一般名詞と固有名詞というのがあって、たとえば、おれが人間で日本人で馬鹿というのは一般名詞で、稲本で喜則というのは固有名詞である。

 人格や人格に近いものを認めたい対象(たとえばペット)、あるいは企業やブランド化した商品には固有名詞をつける。一方で、作品に対しては微妙で、美術作品には固有名詞がつくことが多いが、音楽では曲には名前がついても個別の演奏には名前がつかない。考えてみれば不思議である。演奏それぞれは別の特徴や個性を持つはずなのに、だ。

 料理も普通は一般名詞がついて、固有名詞がつくことはない。

 毎日、炒飯(でもナシゴレンでもよいが)をつくる人間が、それぞれの炒飯に名前をつけることにしたらどうなるだろう。「今日のヒロコは昨日のゴローより胡椒が効いておるわい。卵の具合はゴローのほうが少し上かな。それにしても、一昨日のミッチェルは良い炒飯だったなー」などと遠い目で回想したりして、まあ、どのみち、食ってしまうわけですが。