民主主義、民本主義、民権主義

 政治思想というものをほとんど知らぬがゆえの厚かましさでふと思ったのだが、我が国において西洋のdemocracy(以下、デモクラシー)の訳語を「民主主義」としたのは、いささかしくじったんではないか。

 字面通りに「民主主義」を眺めると、「民を主とする主義」と読めてしまう。デモクラシーというのは人民が主権を持つ制度、あるいは体制だから、「民を主とする主義」ではかなり曖昧である。下手すると、民のための政治を行う考え方、と誤解されてしまうし、実際、そんなふうに誤解している人も多いようだ。

「民のための政治を行う」なら、孔子様の昔からそういう考え方はあった。「民信無くば立たず(民の信頼無くして政治は成り立たない)」と論語にもある(と今、すかさず調べた)。この考え方はいっそ「民本主義」と呼べば整理しやすい。

 デモクラシーのほうは「民権主義」と呼んだほうがわかりやすいと思う。学校の歴史の授業でも、明治に自由民権運動というものがあり、板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず!」といういささか新派の芝居じみた台詞とともに教わったものだ。いっそそのまま、デモクラシー=民権主義と呼び続ければよかったのに。何か問題でもあったのだろうか。

 Wikipediaで素早く調べると、この件は大正時代の吉野作造先生が犯人、とまでは言わないが、重要参考人である。吉野先生は、デモクラシーの訳語として:

 

・国家の主権は法理上人民にあり(民主主義)、
・国家の主権の活動の基本的目標は政治上人民にあるべし(民本主義

 

の2つがあるとのたまった。人民主権主義の略で「民主主義」なんだろう。

 このとき、「民権主義」を訳語に当てれば、その後の曖昧さも誤解も少なかったろうに、いささか後世に禍根を残しましたな、吉野先生。