何トカ人といってもいろいろだ

 今週は金曜に仕事に出ただけで、後は休んでいた。

 前半は京都の実家に行った。おれの生まれ育ちは富山なので、「帰った」という感じはしない。

 一日、奈良で遊んだ。

 奈良公園は鹿のフンがにおって往生した。保護されて数が増えすぎているとも聞く。フンの量が増えているうえに、夏の熱と湿気でいっそうにおったのかもしれない。

 唐招提寺にも行った。おれが一番好きな寺である。堂々とした建築の金堂は実に美しいと思う。

 裏手に鑑真和上像のレプリカが飾られた小さなお堂がある。中国人の観光客の家族がいて、おっさん(といっても、おそらくおれより年下だが)が鑑真和上像に畏まって三回頭を下げているのが珍しかった。日本のお参りの仕方とはちょっと違って、素早く頭を上げ下げする。日本の礼の仕方より畏まっている感じがある。横では、その息子だろう、二十代のワカゾーがシラケた表情で立っていた。寺社で見かける日本のおっさん〜息子の構図と変わらない。

 と類型化しておいて何だが、何トカ人といってもいろいろだと思うのだ。日本に来る中国人観光客についてはその傍若無人な振る舞いがよく問題になるけれども、人による。おれは何人であれ、他人に気遣いのないやつは駄目だ、と思っている。中国人にも他人に気を遣う人はいる。日本人にも傍若無人なやつはいる。こういうのは傾向か統計の問題であって、目立つ目立たないの話なのだろう。

 おれの家の近くの目黒不動に水かけ不動というのがあり、水をかけてからお祈りする。先日出かけたら、中国人の観光客の家族がいて、十代の娘が水かけ不動の前で何やらわーわーきゃーきゃー騒いでいた。おれは待つのが嫌いだから、少し離れたところに立って「さっさとどかんかなー」とちょっといらいらしていた。中国人の家族のお母さんが水かけ不動の前に行こうとして、待っているおれに気づいた。手振りでドーゾドーゾと促す。おれもドーゾドーゾと返したのだが、向こうがさらに遠慮して、いえいえドーゾドーゾと勧める。おれはすっかり恐縮してしまった。

 日本人、中国人、アメリカ人、その他ナニナニ人といっても、人によってさまざまだ。当たり前である。

 ただし、ワカゾーは総じて他人に気遣いがない。これは冗談である。