千年の愉楽

 前から気になっていた映画「千年の愉楽」をDVDで見た。最近見た中では出色だった。
千年の愉楽」は中上健次の連作小説で、名が高い。おれが読んだのは二十代の頃だから、もはや筋は覚えていないが、読み終わった後の怖いような、感銘を受けるような不思議な印象は覚えている。
 若松孝二監督による映画版は小説をなぞっているわけではなく、だいぶ脚色しているというか、再構成しているようだ。映像ならではの表現と、役者たちの微妙な表情がからんで、同じテーマを扱いつつ、別の魅力を生み出している。
 小説、映画ともに、熊野の南端の海辺の町が舞台となっている(小説は新宮、映画の撮影地は尾鷲)。町の複雑に入り組む「路地」に昔から住む中本の一統の男たちが主人公で、彼らはいずれも美しく、女たちと事を起こし、あげくの果てに若死する。いわば、「選ばれた」高貴な男たちで、中本の血を受け継ぎ、次に伝えつつ、愉楽の中で生きて死ぬ。
 映画版には小説にはない二つの大きな要素がある。ひとつは何節と呼ぶのか知らないが、要所要所で流れる島唄風の三味線と唄で、これが千年も続いてきた酔うような愉楽の音世界を創り出している。そして、もうひとつが尾鷲の海のまぶしい美しさだ。
 映画の予告編でも、「千年の愉楽」の感覚世界を味わうことができる。

 それにしても、同じ男でも、中本の血と稲本の血では随分と違うものである。